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2017-08-24 12:05:53
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47
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マイクロソフトは無料ブラウザゲーム「Catan Anytime」を7月24日に公開した。名作ボードゲーム「カタンの開拓者」をブラウザ上で遊べるようにしたもので、HTML5対応ブラウザであれば無料でプレイ可能。スマホにも対応しており、Facebookやメールでプレイヤーを募ってオンライン対戦ができる。
「カタンの開拓者」は、プレイヤーが無人島に入植し、土地から得た資源で島を開拓していくボードゲーム。もっとも繁栄したプレイヤーが勝利者となる。世界30カ国語以上に翻訳され、世界中でプレイされている人気作だ。
そのほか、時間を空けても円滑に遊べるように自動トレード機能なども搭載。現在はβ版のため一部の仕様がカットされているが、8月中には3:1貿易や発展カードなど、おなじみのシステムも追加する予定。今のところオンライン対戦のみで、シングルプレイモードは用意されていない。
Copyright© 2017 ITmedia, Inc. All Rights Reserved. | 2017-03-24T00:09:15 | 0.038975 | <urn:uuid:d11a5118-22f9-46d9-9475-3cfdb48bdfa2> |
街の風景
ディズニー・ストア
渋谷の公園通りにディズニー・ストアがありました。少し前に通ったときにはなかったので、最近できたのだと思います。私はディズニーのキャラクターたちも嫌いではないのですが、どちらかといえばスヌーピーの方が好き。このショップは原宿のスヌーピータウンに対抗して、作ったのかしら?そういえばソフトバンクの携帯電話では「ハロー・キティ」を使って大々的に宣伝していますが、世の中、だんだん子どもっぽくなってきたのかしら、と思ってしまいました。
Contributor: ひまわり、2007年11月25日 | 2017-03-23T23:57:31 | 0.085345 | <urn:uuid:9d564229-52b5-4b19-b3d1-66acebdbb249> |
特に・・・『そもそも雑貨(雑貨屋さん)とは?そのルーツ』『現在、東京に雑貨屋と呼ばれる店は何軒ある?日本には・・・??』『日本で一番最初に雑貨屋と名乗ったお店は一体どこ?』といった疑問に関してです。これらについては是非是非、知りたく思っています。情報提供のご協力、宜しく御願いします!!
ルーツ
雑貨屋の前は「よろず屋」という業態だったのでは?
よろず屋=何でも屋 生活に必要な物資を一切合財取り扱う店のこと
今では雑貨と言えばソニープラザのことを指します、ファッション的な言葉です。=ドラッグストア
江戸期の職業や風俗を記した岩波文庫の『近世風俗志』をひもといてみましたが、「雑貨屋」という項目はありませんでした。江戸時代には「小間物屋」が現代の雑貨屋にあたる言葉として使われていたようです。
当時から現在まで残る有名な小間物屋としては、本郷の「かねやす」があります。
一方、明治期になると「雑貨店」という言葉が普通に使われていたようで、文学作品の中にも登場するようになります。
その頃松永町の北角(きたずみ)と云う雑貨店に、色の白い円顔で腮(あご)の短い娘がいて、学生は「頤(あご)なし」と云っていた。
(森鴎外「雁」)
また、島崎藤村の年譜をみると、「明治24年、横浜伊勢佐木町の雑貨店マカラズヤを手伝う」とありますので、この頃には舶来のこまごまとしたものを売る店として「雑貨店」が存在していたことは間違いありません。
そもそも「雑貨」とは「雑多な貨物」という意味ですので、「雑貨屋」も、おそらく舶来の品物が貨物として輸入されるようになった明治以降の言葉だと思われます。 | 2017-03-24T00:51:18 | 0.323161 | <urn:uuid:cc2250b7-af73-4a8e-9526-9f84faa97952> |
ある業界関係者は、任天堂がDSに15,000円という価格をつけたのは、PSPに29,800円という価格設定をできないようにするためだと指摘する。もし、SCEがPSPを29,800円で発売すれば、PSP1台でDSが2台買える計算になってしまうからだ。「1台で2台分の価格差はどう考えても苦しい」とあるゲーム業界関係者は言う。
いずれにせよSCEが選択できる価格の幅はそう広くはない。29,800円といった高めの設定にすると、対DSではかなり不利になる。しかし、「SCEはPSPを24,800円より下にはできないはず。そうしたら、出荷計画などがすべて仕切直しになってしまう」とある業界関係者は指摘する。下げるにしても限界があるわけだ。とはいえ、SCEが戦略的に攻撃的な価格設定をする可能性は十分にある。例えば、SCEが19,800円とつければ、任天堂はかなり苦しい立場に追い込まれそうだ。しかし、SCEもその分、無理をしなければならないため、そこまで踏み切るかどうかはわからない。(PC Watch)
もともとの価格設定の29800円で発売するか、
ハードの利益を度外視して19800円にするか、ソニーも悩むだろうな(笑
ゲームも魅力的だけど、UMDが安く買えてビデオプレーヤーとしてすぐに使えるのであれば
29800円でも買ってしまうかも…。 | 2017-03-24T00:12:40 | 0.02077 | <urn:uuid:588d9d23-3209-41c2-ac0f-3af115eae2fb> |
2012.02.12 Sunday
“魚食の民”は魚をあまり食べていなかった
日本人は「魚を食べてきた国民」とよくいわれます。たしかに、ほかの魚を食べない国民とくらべれば、日本人は魚を多く食べてきたといえるのでしょう。
せまい土地は海に囲まれていて、川も何本も走っています。潮の流れも北からと南からの両方があり、近海を泳ぐ魚の種類も豊富です。
しかし、たとえば江戸時代や明治時代の日本人が、魚をありあまるように食べることができたかというと、そうではなかったようです。
むかしの日本人は魚がきらいだったわけではありません。食べられる鮮度で輸送をする方法がかぎられていたのです。海でとれた新鮮な魚を遠くの街までとどけられるのも、冷凍・冷蔵技術や運送網の発達があるからこそ。
江戸時代、江戸の人びとが食べる魚といえばもっぱらいまの東京湾でとれた“江戸前”が多く、鎌倉の相模湾あたりから船で日本橋の魚河岸まで運ぶのが限界だったといいます。房総半島沖では新鮮な魚を運んでくるのには遠すぎました。
漁獲量についての統計が日本で初めてとられたのは1891(明治24)年。この年の日本での魚の生産量は、人口およそ4000万人に対して100万トンほどだったといいます。
いっぽう、2007年の日本の食用魚介類の供給量は、人口1億2000万人に対して700万トンほど。1人あたりの魚の消費量でいえば、明治中期よりいまのほうが2.3倍、魚をよく食べている計算になります。
もっとも、いちばん漁業・養殖業生産量の多かった1984(昭和59)年にくらべて、2007年は半分にまで落ち込んでいるといいます。日本では魚をとらず、外国から輸入して食べるようになってきたのです。
かぎられた量の魚を地元でとって地元で消費するといった魚と日本人の関係は、もう完全に“いまやむかし”となりました。
参考文献
長崎福三『魚食の民 日本民族と魚』
『サイエンスウィンドウ』2011年春号「いにしえの心」
水産庁「平成22年 水産白書」 | 2017-03-23T23:58:13 | 0.025218 | <urn:uuid:bc8d6f32-d32c-4189-9e10-80a72225e133> |
「わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。」27
早天にひかる朝露は、夜のうちにできる。
夜明けがきてはじめてその美しさがあらわれる。
今は暗やみかもしれない。笑顔になれない!祈れない!
でも、そんな時だからこそ、主のことばに耳をかたむけよう。主の話すことをしっかりと聞き、心に留めよう。
そして、それを誰にでも聞こえるように、言い広めよう。すべての人が見える場所で主からのことばをそのまま語ろう。 | 2017-03-23T23:57:14 | 0.60954 | <urn:uuid:566a03b0-2552-4348-997c-7a5af05b72f8> |
第4日目(日本時間:9/22(水))
ニューヨーク滞在2日目、3日目の2日間で10km以上の道のりを歩いたことで、左足首を痛めてしましました。普通に歩いても、痛みがありました。ニューヨークのホテルの近くのドラッグストアに行って、湿布薬を買って、患部を冷やしました。9時半にニューヨーク在住の友人と待ち合わせのために、34番街のデパートMacy'sの近くのGAPに向かいました。
いつも最後まで読んで下さりありがとうございます。応援よろしくお願いいたします。
神奈川葉山ヒプノセラピー スピリチュアルライフ アメリカ・ニューヨーク タグ : ヒプノセラピースピリチュアルライフ旅行記ニューヨークヤンキースタジアム松井秀喜葉山神奈川 | 2017-03-23T23:54:10 | 0.046142 | <urn:uuid:f9fb3b51-c917-403f-aa0e-dad23a2ff577> |
獨協学園九条の会
連絡先:
獨協学園九条の会は、獨協中学・高等学校、獨協埼玉中学・高等学校および獨協大学の教職員、学生および関係者を会員とし、2006年11月4日(土)結成されました。結成総会には、「教育基本法全国ネットワーク代表・東大名誉教授の大田堯氏を招き、「いま教育は 教育基本法と基本的人権」と題する講演をしていただきました。
2007年10月28日(日)の一周年講演会には、獨協大学名誉教授・現龍谷大学法科大学院教授山内敏弘氏に「憲法九条と自衛隊の海外派兵」という講演をしていただき、
2008年11月3日(月)には二周年講演会を行い、森永卓郎獨協大学教授に「新自由主義と戦争〜経済と戦争はつながっている〜」という講演を、小沢隆一慈恵医大教授には「憲法9条の現状と展望」という講演をしていただきました。
そのほかにも吉田 稔氏(姫路獨協大学法学部教授)に「常備軍を禁ずるコスタリカ憲法」、右崎正博氏(獨協大学法科大学院教授)に「改憲の動きとマスメディア」、鹿島理智子氏(「日本国憲法草案」を作成した「憲法研究会」の中心人物である故鈴木安蔵氏のご長女)に「第二次世界大戦中から敗戦直後のお父様の思い出」などの講演をしていただきました。
また、映画『戦争をしない国 日本』の上映会も行いました。
世話人は両中・高校と大学から出、代表は右崎正博氏と小生(下川浩獨協大学外国語学部教授)の二人です。大学近くの「九条の会・草加」や「九条の会・越谷」とも協力し、活動を続けております。よろしくお願いいたします。 | 2017-03-24T00:02:42 | 0.037143 | <urn:uuid:edfd4e9b-821d-44dd-8b57-5a6a3b1a99b1> |
2011年2月にテレビドラマ「NCIS ~ネイビー犯罪捜査班」の撮影現場で警備員が車にはねられて死亡した事件で、1,040万ドル(約10億4,000万円)の賠償金が支払われることになった。(1ドル100円計算)
当時52歳だった警備員のフリオ・ヴィラマリオナさんは、ハンドル操作を誤った撮影用のバンにはねられ、病院に搬送される途中で死亡。バンの運転手は持病を抱えており、病気が原因でハンドル操作を誤ったらしい。遺族から訴えられていたCBS局は、運転手の持病について知っているべきだったと非を認めていたため、あとは陪審員がいくらの損害賠償を言い渡すかの問題だったとTMZ.comは報じている。
フリオさんには妻と3人の子供がいる。彼らの弁護士は、大企業であるCBSを相手に訴訟を起こした遺族と、この判決にたどりついた陪審員を誇りに思うとコメントしている。(澤田理沙) | 2017-03-24T00:25:23 | 0.861879 | <urn:uuid:1c1d01f8-7c74-4398-9970-07d6dce8079c> |
今年度のインプラント
植立は合計280本となった。7割がストローマンインプラント
となり、2年前まではほぼ互角であったアンキロスインプラント
が3割減となった。その理由は明白で、アンキロスインプラント
の最新バージョンであるCXタイプの厚生労働省の認可が下りなかったのと、その逆にストローマンインプラント
からは新しい2回法用ボーンレベルインプラント
が販売されたからである。もともと私がアンキロスインプラント
や他社の2回法インプラント
を使用してきたのは従来のテッシュレベルストローマンインプラント
での前歯での症例
をきれいに作るのは難しいという欠点をフォローするためであった。
またストローマンインプラント
の世界シェアが完全にノーベルインプラント
を抜き去り1位となり世界的にも認められたインプラント
を使用するのは時代の流れである。また今後はストローマンインプラント
とCAD/CAM、ストローマンインプラント
を使用したガイドサージェリーによりその分野で優れるノーベルインプラント
と肩を並べることになりそうだ。
このご時世に30本近い増加を見せたのは、インターネット経由のインプラント
希望の方の減少がありながらも紹介患者の増加、一度星野歯科
でインプラント
を植立された方がリピーターとなりその数を押し上げた原動力となった。
また初期のインプラント
脱落は先日骨がとても硬くてドリルの刃がたたないような状況の埋入で骨との結合が得られず2本脱落した症例
、上顎のソフトボーンで初期固定が得られずに脱落した2本、上顎の抜歯
即時後のノーベルアクティブの脱落1本、アンキロス
1本計6本でありすべての症例
で再度植立をし現在はすべて安定化している。
初期の成功率は98%と例年通りであった。
また過去平成7年から今年までの16年間に植立したものは過去に4000本あるが今年の撤去も5本前後である。多くの長期経過のインプラント
においてメンテナンス時に発見されたインプラント
周囲炎に対しては積極的に骨再生療法を試みた。
治療方針
フェイスブック | 2017-03-23T23:54:42 | 0.024326 | <urn:uuid:40babcfe-04df-4eb0-ab32-04d7da09ec5c> |
イスティテュートヴェネチア は、イタリア文部省公認のイタリア語語学学校です。 また以下の協会の会員となっています。
- Asils, Association of language schools of Italian as a foreign language ;
- Tandem International,(タンデムインターナショナル) , 高等言語学会の国際的ネットワーク
長期間にわたり、ヴェネチアでの イタリア語教育を奨励 してきました。 更に、
- ヴェネチア国際大学(フォスカリ大学、ヴェネチア建築大学、ルドヴィグ・マキシミリアン大学、テルアヴィヴ大学、バルセロナ大学、早稲田大学、デューク大学)の 外国人向けイタリア語クラス を設けています。
- イタリア語の教授法とプロモーションのマスター(修士) 、ヴェネチアフォスカリ大学のItals研究所 コースの研修を行っています。
- ヴェネチア建築大学のヨーロッパ留学制度(ソクラテス・エラスムス)のための 語学選抜 を行っています。
- 異文化コミュニケーション協会のイタリア語クラス の受け入れを行っています。
- アメリカの大学の海外学習プログラム の企画を行っています。 | 2017-03-23T23:58:14 | 0.639574 | <urn:uuid:de4c41a8-6b51-4fee-8def-e533c09c7265> |
【ロサンゼルス3日共同】米ロサンゼルス銃撃事件で逮捕され、サイパンで拘置中の元会社社長三浦和義容疑者(60)=日本では無罪確定=の逮捕状取り消し請求の次回審理について、ロサンゼルス郡地裁は3日、今月16日から25日(日本時間26日)に延期すると発表した。
郡地裁によると、延期は弁護側の要請。次回審理では、三浦元社長がサイパンから映像と音声を通じてロサンゼルスの法廷に向けて陳述する見通しになっているが、郡地裁は「まだ正式に決まっていない」としている。
(2008年6月 4日)
ロサンゼルス国際空港に到着した三浦和義元社長。左はロス市警のリック・ジャクソン捜査官=10月10日午前(代表撮影・共同)
10月12日、ニューヨークで記者団の取材に答える三浦和義元社長の弁護人マーク・ゲラゴス氏(共同) | 2017-03-23T23:59:28 | 0.138387 | <urn:uuid:0f9e76cc-db61-4b02-9239-6d2f0d273034> |
東京ドームシティのスパ施設を中心とした融合商業施設「ラクーア」について、各スポット紹介です。
クチコミです
ここの売りは、『ヒーリングバーデ』と呼ばれるシステムが採用されていることです。独自のサウナ文化を持つ韓国からヒントを得て、専用ウエアを着用し男女一緒にくつろげるというものです。
ラクーアという名称は、フランス語の女性単数定冠詞「La」(英語の「The」に相当)と日本語の「Laqu(楽)」、水を意味する「Aqua」を掛け合わせたものです。
ラクーアのロゴは「Q」の輪の部分は観覧車「ビッグ・オー」、尻尾部分はジェットコースター「サンダードルフィン」のレールをイメージしたものです。 | 2017-03-24T00:10:53 | 0.926419 | <urn:uuid:d3165d7c-c34e-422c-a847-329ac757a956> |
「EZ2DJ」というゲームをご存知ですか?
今では珍しくありませんが、当時として新しいシステムが目白押し。足で操作するフットペダル、BPMの急加速や急減速、長押しするロングノートなどKONAMIのBeatmaniaと違った形のオリジナリティもふんだんに盛り込まれており、日本国内でもファンが多い。
筐体デザイン・操作デバイスがコナミの『beatmania』シリーズに似ていることで訴訟沙汰になった経緯があり、それが原因で日本国内ではまず見ることができないが、韓国国内ではかなりの人気を見せている。演奏は通常、5鍵盤・ターンテーブル・フットペダルを使用するが、上級者向けモードではこれらに加えて中央に4つあるエフェクトボタンのうち、片側2つも使用したり、鍵盤を押しながらターンテーブルを回して演奏するモードも存在する。
KONAMIとの六年間に渡る訴訟・・・結果は敗訴。過去作の筐体廃棄+賠償金が命じられる
2007年7月、韓国のソウル中央地方法院において「Ez2Djがコナミデジタルエンタテインメント製の音楽ゲーム『ビートマニア』の特許を侵害している」として、被告2社に対し損害賠償等を命じる判決が出た。その後判決が確定し、被告側に以下の内容が命じられた。
『Ez2Dj THE 1st Tracks -R U Ready to Insida DJ Box?-』・『Ez2Dj THE 1st Tracks SPECIAL EDITION』・『Ez2Dj 2nd TraX -It Rules Once Again-』・『Ez2Dj 3rd TraX -Absolute Pitch-』の計4種の完製品、及び半製品の廃棄
総額約117億ウォンの賠償金の支払
注釈:廃棄を命じられたのは過去四作。当時EZ2DJは七作目までリリース済みだったので、実際に廃棄された筐体は少ない
117億ウォン中AMUSE WORLDが39億ウォン、残りは製造したゲーム世界という会社が負担。
原文:117억원중 어뮤즈월드는 39억 나머지는 기기를 제조한 게임세상 이라는 회사가
배상을 해야 한다고 한다.
敗訴後「EZ2DJ」は新作を出せなくなり、「パッチ」と言う名目でバージョンアップを重ねる。
廃棄する必要があるのはあくまで以前Amuse Worldが保持していた製品のみであり、既に販売された製品に関しては廃棄の対象外である。よって「韓国のあらゆるゲームセンターでEz2Djが遊べなくなる」等といった事は無い。だが、新たに筐体を増産したり、現行筐体のハードウェアを一新するといった行為は出来なくなってしまった。(中略)その為、性能及びハードウェア(使用しているPCマザーは最新作に至るまで無印のWIN98をOSにしている)の耐久力に限界が生じ始めている。
ピカピカなEZ2DJの筐体を見かけないのは、新しい筐体を生産できなくなったため・・・
しかし、今でもWINDOWS98とは・・・
このパッチはリズムゲーム関連コミュニティの会員のうち、開発能力が優秀な会員を募集して作られたバージョンで、臨時契約を結び15日間で仕上げた。 以前のバージョンもそうだが、当時の開発環境はユーザーが想像するそれ以上、劣悪だったという。
有名なエピソードとして、曲を提供してもお金を一円も貰うことが出来なかったyak_won様もいた。 のちに本人のコメントとして、自ら受け取りを拒否したという話も出てきたが.....
原文:테오이등의 리듬게임 관련 커뮤니티 활동을 하던 회원들중 개발 능력이 우수한 회원들을 채용해서 만들어진
이버전은 참가한 개발진 모두 임시 계약직으로 15일간 일했다고한다. 뭐 이전 버전도 그랬지만 당시의 개발
환경은 유저들이 상상하는 그이상으로 굉장히 열악했다고 한다.
유명한 일화로서 곡을 투여하고도 돈한푼 받지 못한 yak_won님의 일도 있었다. 후에 yak_won님의 직접적인
멘트로서 스스로 받지 않았다는 말도 나왔지만.....
このバージョンからEZ2DJはパッチで寿命を伸ばすが、コナミがその気になれば十分にまた揚げ足を取られてもおかしくない状況。あえて静観しているのは訴訟の費用対効果を考慮しているのか・・・真実は会社のみぞ知る。
原文:이버전부터 EZ2DJ는 패치형식으로 수명을 연장하지만 코나미가 꼬투리를 잡으려면 충분히 가능한 상황
이지만 그냥 지켜보고있는건 , 내버려둬도 수출도 안되는 이런게임에 딱히 본인들에게 이득이 될만한게
없고 소송에서 승소할때 까지의 기간과 비용측면을 고려해서 그냥 내버려 두고 있다는 추측도 나오고 있지만
진실은 오로지 회사만이 알고있다.
「7TH TRAX」の次のバージョン・・・ではなく、あくまで「7THにパッチを当てただけ」なんです。
曲の大量削除により、ユーザーからは大不評のバージョン。
事実上の9作目。ですがこれもあくまで「パッチ」。削除曲の大量復活により、「一番家に置きたいバージョン」投票で一位を得る結果に。
どうやら、敗訴が「EZ2DJ」を潰した。・・・わけでもない?明らかになる新事実。
3rd以後でリズムゲームの他に、他のジャンルのゲーム事業にも手を伸ばした。試みは良かったが当時アーケードはオフシーズン状況で時代のトレンドを間違って読んだ結果として全部失敗に帰した。内部事情も非常に悪化した雰囲気だったと推察され、本作品(注・4TH)は子会社イン ファミリーワークスという外注業者で製作になった。
原文:3rd이후로 리듬게임외에 다른 장르의 게임사업에도 손을 뻗치던 어뮤즈월드였는데 시도는 좋았으나 당시 아케이드의 비수기
상황에서 시대의 트랜드를 잘못읽은 결과로서 모두 실패로 돌아갔다.
때문에 어뮤즈월드 내부 사정또한 매우 악화된 분위기 였을거라 짐작을 하며 , 이작품은 어뮤즈월드의 자회사
인 패밀리웍스라는 외주업체에서 제작이 되었다.
良い話で表現すれば外注業者、協力業者で、悪く表現しようとするなら下請け業者。その特性上、支援と事後管理作業環境などすべての面で劣悪だったと考えられる。 4thの作曲家がCroove、xxdbxx、
Andy Lee様たった3人で20曲の新曲を作り出したという事実がある程度立証する。
原文:좋은말로 표현하면 외주업체 , 협력업체겠고 나쁘게 표현하자면 하청업체의 특성상 본사와 비교하면 지원과
사후관리 작업환경등 모든면에서 열악했을 것이라 생각된다. 이같은 사실은 4th의 작곡가가 Croove , xxdbxx ,
Andy Lee님들 단 3명이서 20곡의 신곡을 만들어낸 기염을 토해냈다는 사실이 어느정도 입증한다.
最近になって、新たな動き・・・会社が変わり、タイトルも変わる。
完全な新作「EZ2AC - ENDLESS CIRCULATION」。
開発がSquare Pixelsという会社に移行。
新作「EZ2AC」は、ユーザーからも好評。
機体仕様がWindows98という非常に老朽した環境でこの程度の完成度を持つゲームが出て、
今でもたまにBGAを公開するなどユーザーを配慮する姿は経営者のマインドが本当に立派だということに反論できるユーザーはないだろう。
原文:기체사양과 윈도우 98이라는 매우 노후된 환경에서 이정도의 완성도를 가진 게임이 나왔고 , 거기에
지금도 간간히 BGA를 공개하여 주는등 유저들을 배려하는 모습은 경영자의 마인드가 정말 훌륭하다는
것을 보여 준다는 것에 반박할 수 있는 유저는 없을것이다.
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過去の人気まとめをチェック | 2017-03-24T00:00:04 | 0.025338 | <urn:uuid:554462fd-8189-40b1-9f1e-86655f93e915> |
<お知らせ>
現在、1つのプロジェクトが進行しています。
報告出来る段階になりましたらお知らせいたします。
4時間足
しかしそれには120.984を終値で抜けてきた方が下落しやすくなります。
ストキャスティクスが上昇トレンドなので120.73付近まで下落していき
120.723を抜けてきた時にストキャスティクスがダウントレンドになっていなければ
120.58までで下落が止まり戻していきます。
121.132を終値で越えてきた場合は121.31付近を目指していきますが
下落しやすいエリアで推移していたら上昇は一度止まりそうです。
30分足
121.132-148は意識されている強いゾーンなので、終値で越えてきたら121.18付近を
目指していき、121.27付近をターゲットにしていきます。
120.905を抜けてきたら、120.85付近をターゲットにし
終値でぬえkてきたら120.80付近、120.73付近を目指していきます。 | 2017-03-24T00:03:44 | 0.122224 | <urn:uuid:eb7917fc-3be7-4c04-9809-e9d1c6de8f0f> |
不動産取引において、売主側の媒介業者と買主側の媒介業者の間に位置する業者を、『あんこ』または『あんこ業者』と呼ぶことがあります。『あんこ』とは、饅頭の餡子のことを指します。あんこ業者が発生する理由ですが、たとえば・・物元業者(A)から物件を紹介された業者(B)が買主を見つけることなく、別の業者(C)に情報を流し、業者(C)が客付けをした場合に業者A・B・Cの共同仲介という形が成立します。 | 2017-03-24T23:59:05 | 0.997861 | <urn:uuid:9980b4ec-748b-4ed5-b620-2cad8356cb55> |
地球に似た軌道を描く惑星が発見された。その星は、地球から300光年離れたペルセウス座の一角にある赤色巨星の周りを、地球と同じくほぼ1年かけて回っているという。
発見したのはアメリカの天文学者ウォルスツァン Alex Wolszczan 氏、1992年、太陽系以外で初めての惑星を発見した人だ。テキサスにあるマクドナルド天文台から、ウォッブル(揺れ)という技術を用いて見つけ出した。これは惑星の重力による微細な揺れをキャッチする精度の高い技術なのだそうだ。
当の赤色巨星は、太陽より10倍ほど大きく、質量は倍である。また惑星のほうは木星と同じか、やや大きいと思われる。いまのところ、この惑星がほぼ一年かけて恒星の周りを回っているということ以外、詳細なことはわかっていないらしいが、我が太陽系の未来の姿を予想するための、貴重な情報を伝えてくれるという。
太陽は、星のライフサイクルの中で、今が壮年期にあたっているが、数十億年後には老年期を迎えて、赤色巨星に変化すると予測されている。そのとき、我が太陽系にどのようなことが起きるか。想定される事態をシミュレーションすると次のようになるだろう。
太陽が中心部の水素を使い果たし、ヘリウムの核が形成されるにつれて、外側にある水素の層が活発な核融合反応を引き起こし、しかも膨張していく。この膨張は太陽系の内側の惑星を飲み込むほど巨大なもので、地球も恐らく太陽によって飲み込まれてしまうだろうと推測される。だがそうなる前に、太陽の放射熱によって、地球上の水分はことごとく蒸発し、あらゆる生命は死に絶えるであろう。ウォルスツァン氏は、そうした事態が起こるのは20億年くらい先のことだろうという。
太陽の膨張の影響を受けて、太陽系内の環境は激変する。惑星同士が融合し、消滅した惑星の残骸からは新たな天体が発生したりする。地球上からは生命は絶滅してしまうが、ほかの天体に新たな生命誕生のための条件が整うかもしれない。
たとえば、木星の周りを回っている Europa-a という衛星は、現在では分厚い氷の層に覆われているが、これが太陽の膨張熱によって暖められ、生命誕生にとって都合のよい条件が整うかもしれない。
赤色巨星の時代を終ると、太陽の生命は最終段階に入る。外側の水素ガスの層は飛散流出して星状雲となり、中心部は白色矮星に変化する。さらに白色矮星の核融合が終了して、最後に鉄のような重い原子によって構成されるようになると、太陽は膨張力を失って急速に重力収縮し、超新星爆発を起こす。その結果ブラックホールが誕生するのはいうまでもない。
赤色巨星とその惑星を巡って、太陽と地球の運命を考えてしまった。何事にも、無限ということはない。太陽も、そしてもちろん地球も、いつかは消滅する。
しかし、人間の想像力を以てしては、数億年先の地球を思い描くことは、宇宙の果てを覗き見るよりも難しい。
関連リンク: 日々雑感 | 2017-03-25T00:03:47 | 0.174405 | <urn:uuid:89580826-9a18-48f0-9d16-351717385a8c> |
リッキーとアンの兄妹が、ひょんなことから滞在することになった「さかさ町」。名前の通り、そこではすべてが「さかさま」。子供は楽しんで働き、大人は遊ぶ。学校に通うのは休日だけで、覚えることより忘れることが大事。買い物をすれば、品物といっしょに値段分のお金がお客に渡される……。そんなユニークな世界を描いた児童文学が、青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に選ばれたことをきっかけに、大ブレイクしている。
「挿絵を描いた米国のルイス・スロボドキンは、『百まいのドレス』(『百まいのきもの』を改題)を始め、子供の本の世界では定評のある方です。この本の挿絵もとても魅力的ですが、何よりも内容の面白さに惹かれて、翻訳出版をきめました」(担当編集者の愛宕裕子さん)
原著の刊行は半世紀以上も前で、本国でも古書でしか入手できないという。訳者の小宮由さんは、海外の児童向け書籍を幅広く収集し、そうした隠れた良作を見つけ出す、目利き的な存在だ。
「子供は『おもしろい/おもしろくない』ということに本当に正直ですよね。逆にその大基本さえ間違えなければ、いつ書かれた本であろうが、どこの国の作品であろうが、楽しめるということなんだと思います」(愛宕さん)
子供を夢中にさせるシンプルで奥深い面白さ。大人もぜひ味わってみてほしい。
2015年12月発売。初版5000部。現在5刷13万部 | 2017-03-24T23:54:28 | 0.02445 | <urn:uuid:889855b2-6291-4743-a2e7-4e9d579be619> |
[敬称略]
「解ってもらおうと努力するなんて、下衆のすることだ。」 小津安二郎
2001年宇宙の旅 - Wikipedia
例えば一本の木があって、それをお題にして複数の画家に「これを描いて下さい。やり方は貴方に任せます」といわれたときに、ある画家は水彩画でまたある画家は油絵で、またまたある画家は鉛筆でその木を描いたとする。そして、それぞれの画家のそのときの感情がそれに「何を見ているのか」との違いによって、その木の画に「生命の躍動感」や「大地に根付く安定感」そして「生命の終末感」が感じられたりもする。
「2001年宇宙の旅」はSF映画の金字塔であり映画史に残る名作である。そして難解な作品だといわれいる(らしい)。しかし映画評論家の町山智浩が指摘するとおりアーサー・C・クラークが小説化した著作を読めば説明はされているのがわかる。
説明はされている。されているのだけど。
微妙な「違和感」はぬぐえない。小説と映画の「この微妙な差はどこからくるのか?」
そこで、絵画の例えを使うと、こうなる。
「人形をモチーフにして絵を描いてください」とテーマを与えられて、陽気な人はそこに明るく生命観あふれる絵にするのかもしれないし、陰気な何かが乗り移った不吉な絵にするだろう。
『2001年宇宙の旅』では人形の換わりに「あるモノ」をお題に与えられている。
それは「知性」だ。『2001年宇宙の旅』では「知性」をお題にしてSF作家のクラークと映画監督のキューブリックがそれぞれ描いたモノが観客に違う印象を与えている。それはHAL9000の反乱のシーンからよくわかる。
【考察・検証】HAL9000コンビュータはなぜ反乱を起こしたのか? - KUBRICK.blog.jp|スタンリー・キューブリック
クラークは知性は人と機械では「たいして差が無い」と考え。
キューブリックは人であろうが機械であろうが知性を生命の「原罪」として考えている。
つまり。
クラークは楽天的であり。
キューブリックは悲観的。
であるということ。
これが小説と映画の微妙な差なのだ。
本来なら水と油のはずで結びつかないのだがクラークとキューブリックは実は「神の不在」でしっかりと結びついている。
これが『2001年宇宙の旅』の魅力の一端であり、いまだに色々な解釈がだされる元なのだ。
ねっ、面倒でしょ!
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2001年宇宙の旅(初回限定生産) [Blu-ray] [Blu-ray] | 2017-03-24T23:59:54 | 0.03993 | <urn:uuid:32d5446f-ee7a-4ce9-8305-7efe3c78f31a> |
会長挨拶
長い不況が続き、多くの人々が自分の仕事や健康などにおいて、将来への不安を感じるようになりました。
また国内の自殺者の数は年間3万人を超え、「病んでいる」という言葉が,普段の生活の中でもよく見聞きされるようになりました。
精神科医の神谷美恵子さん(1914-1979)は、「少なくとも深い悩みの中にある人は、どんな書物よりも、どんなことばによるよりも、自然の中にすなおに身を投げ出すことによって、自然の持つ癒しの力-それは彼のうちにも外にも働いている-によって癒され、新しい力を恢復するのである。」と、代表的な著書「生きがいについて」の中で、自然の持つ癒しの力について書いています。
私たちの身近な自然の一つに森林があります。
現在、日本の森林は国土面積の約7割を占めており、私たちの住む日本は、衣食住に至るまで古来からの森林の文化を持ち、森の恵みを受けてきた国の一つです。
しかしながら、私たち人間の健康が危ぶまれている一方で、日本の森林にもいま病んでいるところが各地に見られます。松枯れやナラ枯れをはじめ、全国各地で増える一方の放置林の状況など、かつて里山としてあった地域の森林に人が入らなくなるにつれて、身近な存在だったはずの森が遠くなり、森林の健康もまた損なわれてしまっています。
地域の森林と人間の健康を考える、医療、福祉、教育、心理など、幅広い方々のご参加をお待ちしております。
皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。
日本森林保健学会 理事長 上原 巌 | 2017-03-24T23:53:51 | 0.036071 | <urn:uuid:bcd86906-b2dd-4e97-bd8e-f6055f1a0b77> |
予防できる病気
心筋梗塞は心臓の周りの血管が詰まって引き起こる病気であり、一度発症すると死に至ることもある大変危険な病気です。
これは、日頃の食事で油の多い食べ物を食べると、コレステロールによって血管を詰まらせてしまい、血液の流れを阻害して心筋梗塞になります。
また高齢者だと、血管が劣化してしまい、血管が破裂することで症状を引き起こす方もいます。
この症状は日頃の食生活も影響しており、特にここ何十年か日本は穀類や野菜中心の生活から肉中心の生活に変ってきました。
このような油の多い食事をメインにするようになったことも、心筋梗塞の患者が増えた原因です。
そのために近年は昔からの日本食が見直されて、そのような野菜や穀類中心の生活をすることで心筋梗塞も予防できます。
食生活が大事
心筋梗塞は食生活が関わっており、ある実験では、魚を多く食べるグループと、魚を最も少なくあまり食べないグループを比較したところ、魚を多く食べるグループは心筋梗塞のリスクが40%も減ったという実験結果もあります。
特に魚に含まれるDHAとEPAが心筋梗塞を予防するのに大いに役立っており、脂肪酸の一種のこれらの成分は、血小板が固まるのを防ぎ、血液をさらさらにする効果があります。
このような魚が大いに予防に効果があるのはもちろんのこと、心筋梗塞は血液がドロドロだと起こりやすい症状です。
血液をさらさらにする効果のある食べ物を日頃から摂取するのも良いです。
一例として玉ねぎがあり、玉ねぎは血液をさらさらにする効果があります。
そして心筋梗塞予防に効果のある成分として、カルシウム、カリウム、食物繊維があげられます。
カルシウムは心臓を動かすのに必要であり、カリウムは心臓を動かす信号を伝える役割があり、食物繊維は血管の炎症を抑える働きがあります。
こららの栄養素が含まれる食べ物を日頃から摂取すると良いです。
カルシウムとしては、牛乳や魚などがあり、魚はDHAとEPAも摂取できます。
また牛乳の変わりとして大豆やひじきなどを食べても良いです。
カリウムの多く含まれる食べ物としては、バナナがあり、その他にトマトや里芋や大豆類がその例です。
バナナなら食後のデザートとして食べても良いでしょう。
食物繊維を含む食べ物としては、こんにゃくが有名であり、その他にごぼうやひじきやサツマイモがあります。
食物繊維は便秘予防に良いと思われており、女性などは積極的に食べる人もいますが、実は心筋梗塞予防にも良いので、日頃の食事に取り入れると良いでしょう。
このような食べ物を工夫してレシピに取り入れて、料理して作り、食べやすくして出してあげると、苦にならないで食べることも出来ます。 | 2017-03-24T23:51:51 | 0.035963 | <urn:uuid:81f6892e-a0ab-466e-9597-98fb83e7bf35> |
第弐章・徴用と花蘇芳
久子は徳治に明日の徴用について佐藤部落会長の末意を告げた。
『そうか・・・神経痛を大分治まったのでな・・・いや、儂が行くは・・・』
『でも・・・お体に障らないでしょうか?』
『いや 大丈夫だろう、留多加までだから』
徳治は明日の徴用に自分が出ると、一人で決め久子を労わろうとする温かい気持ちのこもった言葉を発した。この留多加町は日本領有時(降伏前)人口約7千(1941年12月1日時7295人)、交通の要衝であり、樺太庁道新場西能登呂岬線、豊原留多加線、大豊遠節線、小里小原線が交差。亜庭湾に面し、北では豊原市及び真岡郡清水村、西では真岡郡広地村及び本斗郡本斗町、南では留多加郡三郷村、東では大泊郡大泊町と接し、樺太有数の肥沃な土地であり農耕適地が多かったことでも知られる。経済と交通の中心でありソ連の進駐後も留多加町は南樺太の日本地名をロシア風地名に改称する政令に基づきアニワ町と改称され、ここに南サハリン、クリル(千島)列島住民管理局民政署が設置され、郡の中心都市として振興を極めた。
徳治の住む村はこのアニワ町から南は三里半(約13km)程の海岸沿いに離れた所で、冬は深雪に埋もれ交通が遮断され陸の孤島にも等しく、冬期内の交通は馬の従歩に依らねばならない所だった。
部落会長の命ずる食料輸送はアニワ食料公団から村の食糧輸送の使役である。明日のあすの食料輸送の事を話している内に夕食が整えられた。
『食事の用意が出来ました、食卓に着きましょう。』
久子は徳治と広光を誘って自分も席に着いた。陰膳を傍らにシベリアの地に一片の黒パンに命をたくしている、還らざる光男を偲んで、舅嫁は萬感のこもる夕食の箸を取った。粗食ではあるが今宵は明るい歓の匂いが食卓に満ちていた。一方アニワ食糧公団倉庫から一台の馬橇が食糧箕物を満たし夜の町へ姿を消した。平川の馬橇である。平川はブローカーの仲間では親分株であり、それだけに四十個の食糧箕物に25.000ルーブルを支払った事を別に高価とも考えていない。衣服も食糧も切符配給制で人々は食生活に苦しんでいる今、この時の経済事情が食糧ブローカー達に暴利を保障する様な高値で売却する事が出来るからこそ25.000ルーブルを出しても安い買い物なのである。平川は町端の自宅までおおらかな気持ちで伴の若者に馬を追わした。凍雪を進むキーキーと言う馬橇の音を聞きつけた若者二人が早川の自宅から表に出てきたときに馬橇の後を尾けていた黒い若者が
『“ちょっと待ってくれ”』
呼び止められた馬橇に乗っていた平川ともう一人の男は予想しない、しかも機先を制する呼び声に反射的に声の方向に振り返り鋭い視線を泳がせ、母屋から出てきた二人の若者も馬橇に乗る平川に寄り口早な朝鮮語でなにやら話しかけた。平川は当惑気味に歩み寄ってくる人影が近寄ってくる人影に何か癪に触れた口調で
『“何故俺を呼び止めた。お前・・何処の者だ?”』
『“僕はアニワ食糧公団の者だが
この荷物をなぜ夜中に公団倉庫から持ち出した?”』
『“持ち出した?おかしな話だ”』
『“可笑しくない、公団では物を個人に渡さないから訊くんだ!”』
『“とんでもない
俺は今高い金を支払って買って来たばかりなんで悪い冗談はよしてくれ”』
『“食糧統制が厳しい時に君達に食糧品を売るはず無い、変な事を言うね”』
『“人を疑うのもいい加減にしてくれ、この食糧品は警察署の下仕官以上の特配品なんだぜ、それを俺の知人である警察官将校が俺に幹旋してくれた物だ、とんでもない言い掛かりは止してくれ!”』
『“知人の幹旋?下士官以上の特配品だと言うが、しかしアニワ地区の公団では小売配給店のように一般消費者への配給はしない筈だ。
君は誰からこの荷物を受け取った?”』
『“アブラモフ、倉庫番の係長、アキーム・アブラモフ氏からです”』
『“なに?これをアブラモフ氏から?”』
若いロシア人イヴァンはこの裏に何かあると確信し
尚も追及の手を緩めず緊張した面持ちで平川に迫った。
豆を散らした様に散在する農家に灯火の灯る頃やっと徳治は徴用を終へ帰宅した。栗毛は今日の激務を物語るように毛皮に白く凍り付く汗の跡がくっきりと白髪の様に浮出ている。
『久子、今日は栗毛が偉かったぞ』
そう言いと徳治は栗毛の体をブラシで擦り出した。
『あっ、そのような事をなさって御体に障ります。
私 お舅さんの姿を見て安心したのよ。疲れたでしょう!
後は私がしますから母屋に入って下さい。さあ、どうぞ。』
久子は願う様な眼差しで徳治に言うと徳治は母屋に入った。自分に出来る事なら何とかして徳治に苦労させまいと気を使う事が久子の心情である。馬に水を与へ、寸断した干草を飼料桶に入れて久子は畜舎を出た。
『母ちゃん、パンとバター 砂糖を爺ちゃんが町からこんなに買って来たよ。』
広光は色々を指示し得意になって久子に報じた。
『まあ!広ちゃん、良かったわね。お舅さん、これは特配になったのですか?』
『うん、配給店の食糧輸送をした関係で特配になったのじゃ。
パン七キロ、砂糖二キロ、バターが一キロの特配だ。
思い掛けない労賃を貰ったので本当に助かった』
『まあ!・・・』
久子はそれを見て、食糧不足で悩ませる今日、嬉しいやら珍しいやらで頬を硬ばしている。徳治はその素振りを見て
『助かっただろう。お前の嬉しそうな顔を見ればこのわしも自然と愉快になって寒かった事も浸かれた事もすっかり忘れられるよ。どれ、飯にしようか…』
『さあ!どうぞ。広ちゃんも座って!』
徳治は満面に笑みを浮べながら夕食の膳に着き、久子はパン、バター、砂糖を食卓に添えた。
『今夜はパン食かい?』
徳治は食卓を見て微笑み、一家は貧しい食卓を囲んだ。
『広ちゃん?美味しい?』
『うん!美味しい!』
『そんなに一度に食べてはお腹を壊しますよ?』
『だって!?美味いんだもん』
『困った広ちゃんね・・・今夜はすっかりロスケ風の食事なって・・・あら!?お舅さんもう良いの?』
『うん、わしはもう満腹だ。なんだかもう眠気が差して来たよ』
『きっと疲れたんでしょう・・・』
『うん、そうかも知れん。今日の荷物は重かったのでな義でも居なければ如何する事も出来なかった、ロスケは早くしろと急き立てるし大変だったわい…』
『では義ちゃんと二人で積んだの?』
『そうだ!今日の徴用馬は十三頭で隣組から石田、瀬川の爺と山田の義と四人で、わしは義と組んで荷を橇に積み込んでな…
やっと十二時頃までかかってやっと積み終わったんじゃ』
暗い灯りのランプの下で細井親子は食卓を囲み今宵の団欒を語合ってる頃、食糧配給店では食糧箕物が消え他のがわかり騒動となっていた。
『“所長、数えて来ましたがやはり足りません”』
と言いながら店員のボリシャコフが事務所に入って来た。
所長ベスサラボフは眉を動かし
『“そうか、他の荷物にも混じっていないんだろうな?・・・”』
ボリシャコフに確かめながらもう一度、公団から送られて来た送状を見直した。
『“はい、他の荷物は伝票通りですので”』
『“たぶんパーヴェルだろう、大方酒でも飲んで酔って公団から積み運んでいないのかも知れん。まあ、明日パーヴェルに聞くことにしよう”』
日本人馬夫を引率して食糧箕物の受領に行ったパーヴェルは公団箕物係長などと酒を飲み交わし酔いつぶれ配給店に着いてもまだ眠り続けていた。翌朝早く公団に電話を架け終にパーヴェルは唇を痙攣させ所長のピョートロに哀願するように
『“荷物は発送伝票とおりに払い出されているから
日本人馬夫が怪しいと自分は思います”』
『“君は呆れた者だ、公団からの受領数を確認しないばかりか
酒に酔い任務を放棄した結果こうなったのだ。どうする心算だ!”』
所長は吐き捨てる様にパーヴェルを怒鳴り付け、パーヴェルはすっかりしょげかへ首を項垂れ自分自身の虚理を忘れ所長の凝視を浴びている。
『“一刻も早く怪しいと思う馬夫を調べるのだ。
事と次第によっては警察の力を借りなければならない。早くするんだ!”』
所長の指示が下ったパーヴェルは配給店から飛び出した、鉛色の空から雪が舞っていたが体の方は火の様に熱かった。自分の俸給900ルーブルに比較しようも無い15.000ルーブル相当の食糧箕物の紛失している事を今朝、所長より忠告され愕然とした。その事が彼の脳裏にこびり付き離れず日本人馬夫に腹立たしさを覚える。
『“野郎!見付けたら承知しないぞ!”』
そう口走りながら徴用人夫の家を一軒一軒訊ね歩いた。
小説・哀歓の虹
- 哀歓の虹 序章
- 哀歓の虹 序章(続)
- 哀歓の虹 第壱章
- 哀歓の虹 第壱章(続)
- 哀歓の虹 第弐章
- 哀歓の虹 第弐章(続)
- 哀歓の虹 第参章
- 哀歓の虹 第参章(続)
- 哀歓の虹 第四章
- 哀歓の虹 第四章(続)
- 哀歓の虹 第五章
- 哀歓の虹 第五章(続)
- 哀歓の虹 第六章
- 哀歓の虹 第六章(続)
- 哀歓の虹 第六章(続々)
- 哀歓の虹 最終章
- 哀歓の虹 最終章(続) | 2017-03-24T23:58:43 | 0.131704 | <urn:uuid:3d699d51-3ab4-4bab-b2d1-847a3e10126c> |
【政治】ちょっと遅いですが、麻生首相の郵政民営化発言について
2009年 02月 09日
とこのような内容の発言をしたそうです。郵政民営化法案を担当した内閣の大臣が反対だったと今頃なぜ発言するのか、わかりません。あのときは衆議院本会議でも自民党議員が反対票を投じて、郵政民営化を問う総選挙が行われたはずです。その結果、今の衆議院の議席が確定したわけですから。その郵政民営化に反対の人が何で首相をやっているのか、理解に苦しみます。国民を馬鹿にするのもいいかげんにして欲しい。
現在の発言ですから、今も郵政民営化に反対なのでしょうから、もう一度「郵政民営化」を争点に総選挙をやって欲しいですね。そうでなければ即刻辞任していただきたい。私は、郵政民営化に賛成の立場で1票を投じたわけですから、有権者無視もここまでくると呆れてものが言えません。1代議士の発言であれば容認できますが、内閣の総責任者の発言とは意味は全然違います。首相の椅子に固執するのであれば、自ら総選挙に打って出て、実力で勝ち取ってください。まず私は麻生総裁の自民党には絶対投票しませんが。
小沢代表も「首相たる人が言う話か」と痛烈に批判をしています。物事の本質(郵政の民営化が正しかったかどうか)は時代がその答えをだしてくれると思いますが、時の政権推進者の一人が反対表明をせずに、指示に従ったことは大いに問題として取り上げられてしかるべきと思います。発言の大きさにあわてて、いろいろ修正発言をしている麻生首相を見ていると、宰相としての資格を疑ってしまいます。
写真は http://sankei.jp.msn.com/politics/politics.htm から | 2017-03-24T23:59:46 | 0.020527 | <urn:uuid:d376d07d-689e-46fb-82cf-2b03d018d2e9> |
ひと目会わせたい!
昭和40年代初めから平成15年ごろまで兵庫県伊丹市北野3丁目で理容「ホープ」を開業していました。
3人の子供に恵まれましたが事情があり奥さんと別れた後平成17年に奄美に帰郷。
以来、子供たちと連絡が取れません。
長男 桑原 雅之(まさゆき)42~3歳 伊丹市近辺
結婚し子どももいるようですが、20数年あっていません。
長女 坂本 雅紀(まき)37~8歳 大阪近辺
帰郷時一緒についてきたが、戻った後から一切連絡取れなくなった。
次女 桑原 法子(のりこ) 24歳? 西宮市?
帰郷後花天で暮らしていましたが、翌年8月に肺炎で入院。
以後、入退院を繰り返しています。
今年2月に宇検村の施設に入所しこれで一安心と思ったら
4日目に肺炎で入院し、日に日に弱っていくばかり。
現在、奄美中央病院に入院していますが危篤状態です。
どなたか子どもたちをご存知の方がいましたら、
お知らせ頂けませんでしょうか。
連絡先 [email protected] | 2017-03-24T23:56:57 | 0.155393 | <urn:uuid:b3c2040f-477b-49e3-9df3-acbeaa9e3993> |
OGA例会
今日はOGA8月例会でした。
やったゲームは
- Q-JET 21xx
- LORD of the RINGS
- ASARA
- ROYAL TURF
- 真珠湾攻撃カードゲーム
Q-JET 21xx
SFチックなマシンを操り、集会レースを行うゲーム。定番のレースゲーム。
2人で対戦したので、2台ずつを担当。2位と4位。
LORD of the RINGS(指輪物語)
J.R.R.トールキンの指輪物語をモチーフにしたボードゲーム。プレイヤーは旅の仲間側とサウロン側となり、旅の仲間はフロドを火の山へ到達させれば勝利、サウロンはフロドを倒せば勝利となる。各キャラクターには特殊能力があり、攻撃すれば問答無用で相手を敗北させるオークや、相手の戦力を見てからこちらの戦力を決められるガンダルフなどがある。
旅の仲間側でプレイしたが、超強力なガンダルフがオークに一撃死され、あっという間に戦線をボロボロにされ、フロドを討ち取られてしまった。
ASARA(アサラ)
塔を建てるゲーム。手札にある代理人(?)を派遣して塔の部品を確保し、建設する。最終的に塔の高さ、建てた塔の数が勝利点となり、勝利点の多い者が勝利する。
高い塔を建てたものの、あまり数を建てられなかったため、4人中4位。
ROYAL TRURF(ロイヤルターフ)
競馬ゲーム。出走した馬に賭け、ダイスとカードに表示された馬の状態に応じて馬を走らせ、順位に応じた掛け金を手に入れ、最も多くの掛け金を手に入れたものが勝利する。
どうにも大きく当てようとして失敗。4人中4位。
真珠湾攻撃カードゲーム
日本軍の攻撃隊となり、真珠湾に浮かぶアメリカ艦艇を撃沈するゲームのテストプレイ。
大物空母を沈めたものの、超大物を逃したために5人中4位。
次回は9/19の秋季大会。
帰りにボードウォークへ寄る。
| 固定リンク | 2017-03-25T00:02:26 | 0.020127 | <urn:uuid:adb891b9-7131-4424-b994-425d43b145ba> |
汚名の概要:イングリット・バーグマン主演のスパイ・サスペンス。共演はケーリー・グラント、クロード・レインズ。ナチスの恐怖がテーマ。脚本はベン・ヘクト。アルフレッド・ヒッチコック監督の1946年米国映画。
汚名 あらすじネタバレ
映画『汚名』のあらすじを紹介します。※ネタバレ含む
汚名 あらすじ【起・承】
1964年4月24日。フロリダ州で行われたナチスのスパイ裁判で、ヒューバーマンは20年の懲役刑を言い渡された。その裁判を傍聴していたヒューバーマンの娘アリシア(イングリット・バーグマン)。
彼女は、記者たちに質問ぜめにあいながらも裁判所を抜け出した。父のために証言台に立つことはなかったアリシアだったが、心の高ぶりをなかなか抑えることが出来なかった。その夜、親しい人を集めて自宅でパーティを催した。
そのパーティでひとり静かに酒を飲む男デブリン(ケーリー・グラント)がいた。アリシアはかなり酔っぱらっていたが、彼を送るといって車を運転した。とても乱暴な運転だったため、途中で警官に車を停止するよう言われてしまう。
当然、飲酒運転で逮捕されるかと思ったが、デブリンが同席していたため免除された。アリシアは、そんなデブリンを警官だと誤解して怒ってしまう。
翌朝、アリシアは再びデブリンと会う。何か魂胆があると考えるアリシアに対して、デブリンは、アリシアの父親が関係したナチスのスパイを探るために協力して欲しいと言う。そして、父親が毒を飲んで死んだことも伝えるのだった。
アリシアは父親への償いにもなると信じて、FBI捜査官デブリンと共にリオへ旅立った。数時間後。リオのカフェテラスでいい雰囲気になる、アリシアとデブリン。アリシアは、何度もキスをして午後7時にまた会う約束をした。
デブリンは、滞在しているホテルに電話をし、上司プレスコット(ルイス・カルハーン)からの伝言を聞いた。彼に呼ばれて事務所に行くと、アリシアをドイツ系の会社社長アレクサンダー・セバスチャン(クロード・レインズ)のスパイにする計画があると言う。
アレクサンダー(通称・アレックス)は、過去にアリシアにぞっこんだったらしい。それを聞いたデブリンは、嫉妬を覚え、アリシアにそんな任務は任せられないと反対した。
だが、計画は進み、アレックスの趣味である乗馬クラブで接触を試みることに。
その計画を聞いたアリシアは、彼との仲を否定。一方的に任務をやれ!と言うデブリンの態度にも怒ってしまう。”私の愛を信じてくれないの・・。”とアリシアは落胆して、酒を一気に飲み干すのだった。
翌朝、2人はアレックスの通う乗馬クラブへ。偶然を装い、アレックスに近づくアリシア。言葉巧みにアレックスを誘惑すると、アレックスはすぐにアリシアへ惹かれていった。アレックスは、アリシアを母親がもてなすパーティに誘う。
汚名 あらすじ【転・結】
パーティの日。デブリンの上司プレスコットがやってきて、アリシアに首飾りを贈った。そして、この任務が終わるまでは急用以外はデブリンと会わないほうがいいと言われます。その日の夜、やや緊張した気持ちでアリシアはパーティへ。
アレックスの母親(レオポルディン・コンスタンティン)と会い、なぜ父親の裁判で証言しなかったのか問われます。アリシアに対して、快く思っていないようだ。アレックスに紹介されて、彼の仲間や今夜の主賓であるアンダーソン博士(ラインハルト・シュンツェル)に会う。
晩餐会が始まる頃、彼の仲間のエミール・フプカが、3本のワインボトルを見てひどく動揺した。なだめるアレックスたち。晩餐会が終わった後、フブカ以外の仲間たちが彼の態度を非難する言葉を発していた。
フブカは仲間に無様なところを見せたと謝り、先に帰ることを告げた。仲間の1人が強引にフブカを送ってゆくと言って、送る途中で秘密裏にフブカを殺すらしい。
数日後、アリシアは、アレックス親子と共に競馬場にいた。アレックス親子とは離れた場所で、デブリンと密会した。アリシアはアレックスと付き合っている辛さを訴えるが、デブリンは冷静に対応してしまう。しかし、その様子をアレックスは見つめていた。
2人のそばへ、アレックスがやってきた。アリシアは涙を隠し、デブリンも挨拶を交わしただけで去ってゆく。そんなある日、アリシアが突然、情報部を訪ねてきた。
プレスコットやデブリンは驚くが、なんとアリシアがアレックスにプロポーズされたと言う。返事をすぐに欲しいと言われていることもあり、相談しにきたらしい。プレスコットは結婚は好都合だと言い、デブリンも新婚旅行を短縮するならと同意します。
こうして、アリシアはアレックスと結婚した。唯一、アレックスの母親はアリシアに疑惑の目を向けた。新婚旅行から戻ったアリシアは、服を整理をするが、ワイン室の鍵だけアレックスから貰う事ができない。
そこで、ワイン部屋に何かある!と感じたデブリンは、パーティを開くようアリシアに提案した。パーティまでに鍵を手に入れて、ワイン室を調べてみようというのだ。
パーティの夜。少し遅れてデブリンが自宅に現れた。アリシアは、夫アレックスにデブリンとの仲を嫉妬され監視の下に置かれていた。なんとか夫の監視をくぐって、地下のあるワイン室の鍵をデブリンに渡した。
デブリンはワイン室へ侵入するが、どれが問題のワインか見分けがつかない。そんな時、1934年代物のワインが落ちてきたから大変!割れたワインからは、黒い砂がこぼれてしまう。2人は急いでワインを棚に戻し、片付けた。
一方、シャンペンが少なくなり、アレックスは執事と地下のワイン室へやってきたが、ワイン室の鍵だけがないのだった。アレックスに2人でいるところを見られてしまったデブリンは、とっさにアリシアを抱きしめキスをした。
2人に近づくアレックスに対して、デブリンは酔っていただけでアリシアのアレックスへの思いを知り、身を引くと言って去るのだった。
アレックスはアリシアへの疑惑を深め、翌朝、地下のワイン室を訪れた。ワインの瓶はちゃんとあるように見えたが、誰かが水道を使用した形跡や1934年のラベルのついたボトルの砂の量が減っていることに気づいた。
そして、アリシアの正体がアメリカのスパイだと知った。慌てて、母親に相談するアレックス。その後、毒入りのコーヒーを飲み続けたアリシアは次第に体調を崩していく。
デブリンの上司プレスコットから、黒い砂の正体はウラン鉱石だと聞いたアリシア。同時にデブリンがスペインに転勤すると聞くのだった。久しぶりに公園で密会した2人。しかし、顔色が悪いアリシア。深酒したせいだと言うが、デブリンはそんな彼女を心配するのだった。
数日後、アリシアの元を訪れたデブリン。アリシアは、コーヒーの中に毒を入れられたせいで気分が悪いとデブリンに訴えた。館では、アレックスの仲間が会議で訪れていた。病院に連れてゆくため、アリシアと共に階段に現れたデブリンを、アレックスとその母親が行かせまいとするが。
デブリンは2人を威嚇し、アレックスの仲間にばれずにいるためには自分に従うよう促す。そうして、アリシアを車に乗せると、”一緒に連れて行ってくれ!”というアレックスの言葉を無視して車を発進させた。
その後、”アレックス、話がある。”と仲間に屋敷へ呼び戻されると、もう2度と生きた彼の姿を見ることはなかった。
汚名 評価
- 点数:80点/100点
- オススメ度:★★★★☆
- ストーリー:★★★★☆
- キャスト起用:★★★★★
- 映像技術:★★★★★
- 演出:★★★★☆
- 設定:★★★★☆
作品概要
- 公開日:1946年
- 上映時間:101分
- ジャンル:サスペンス、ラブストーリー
- 監督:アルフレッド・ヒッチコック
- キャスト:ケイリー・グラント、イングリッド・バーグマン、クロード・レインズ、ルイス・カルハーン etc
汚名 批評・レビュー
映画『汚名』について、感想と批評・レビューです。※ネタバレ含む
卓越したプロットとイングリット・バーグマンの存在感に魅せられる、スパイ恋愛活劇!
ナチスのスパイが暗躍しているという設定やサスペンス効果を盛り上げる鍵など、小道具の使い方が秀逸です。もう、イングリット・バーグマン映画といってもいいくらい。
なかでも、地下のワイン室で、割れたボトルから出てきたのがワインではなく、”黒い砂”(後にウラン鉱石と判明。)だったから大変。またアレックスにアメリカのスパイであることがばれてしまうかもという緊迫感があります。
どのシーンを切り取っても、サスペンスで溢れており、加えてピュアな恋愛物語としても楽しめるところが魅力なんです!
イングリット・バーグマンの視点がほぼ主観ショットで撮られており、毒を盛られたと分かってゆらゆら揺れるシーンなど見どころも多い。やはり、ヒッチコック作品には「めまい」のようなショットやカメラが反転して別の物を映すといった映像は欠かせないのかも。
1番気になったのは、深酒に酔ったイングリット・バーグマンが、ケーリー・グラントを乗せて車を運転するシーン。視界に霧がかかったり、警察のオートバイが追いかけてくるところで上手い具合にライトが当たっていたりするんです。
臨場感と描写の細かさは、現代の映画作家がヒッチコック作品を超えられない魅力のひとつではないでしょうか。
第2の主人公、アレックス役クロード・レインズの魅力
フランソワ・トリュフォーは、「映画術」という本のなかで、ヒッチコックの「汚名」についてこう言っています。「クロード・レインズが主役の映画だとみなしてよい。」と。
それくらい、夫アレックス役は、恋の三角関係あり、ナチスのスパイという側面で揺れ動く複雑な役を好演していました。また、ヒッチコック特有の親子関係の異常性も目立っています。
ヒッチコック作品の表現の多様性が一番成功した作品だと感じています。クロード・レインズは、「透明人間」や「カサブランカ」、「オペラ座の怪人(1943)」、「アラビアのロレンス」に出演。
個性派俳優として、時に主役よりも輝いていたという。その才能が最も発揮された作品が、「汚名」なのです!ぜひ、彼に注目してご覧下さい。
汚名 感想まとめ
「汚名」のラスト・シーンが忘れられない。唐突な幕切れ。きっとアレックスは、仲間によって殺される運命なのだろうと思うと、胸が痛くなってしまう。
アレックス役のクロード・レインズの存在感が面白く、イングリット・バーグマンの感情の揺れも大きくなります。
スパイ映画か、それとも純粋な恋愛映画として観るかで感想も変わってくると思いますが、ケーリー・グラントとイングリット・バーグマンの台詞や態度にきゅんとなってしまうのではないでしょうか。
加えて、鍵やワイン・ボトルなど小道具の見せ方も上手く、おしゃれです。この作品を観ずにヒッチコック作品を語るなかれ!というほどの傑作です!
Amazon 映画『汚名』の商品を見てみる | 2017-03-25T00:02:37 | 0.358124 | <urn:uuid:f66b5c0d-0c84-4787-90d4-fb9b0f11c0fc> |
mixiホーム > mixiワードトップ > ナマポがやる秘密のアルバイト
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Copyright (C) 1999-2017 mixi, Inc. All rights reserved. | 2017-03-25T00:06:36 | 0.214728 | <urn:uuid:fb40f218-4f36-4b2e-a35f-6c43fa6513c7> |
緑の党は修正案を用意して待ち受け
電話、インターネットなどのあらゆる電気通信の送信元・受信先、日時などのデータ、メタデータの2年間保管を通信事業者に義務づける「メタデータ保管法」は与党保守連合と野党労働党の賛成で下院を通過しており、上院でも賛成多数で通過する見込み。
ABC放送(電子版)が伝えた。
しかし、ジャーナリスト・ユニオンなどは、この法律では報道が内部告発者などの情報源を秘匿することが難しくなり、政府がメタデータを報道の自由の制限や内部告発者の処罰に利用することになると危機感を明らかにしていた。これに対して、政府は、「報道統制に使うことはない」と反論したが、これまでに政府がジャーナリストの通信のデータの提出を通信事業者に求めていたことが暴露された。また、通信事業者側も4億ドルと推定される2年間のメタデータ保管の経済的負担に不安を表明していた。さらには、「この法案が通らなければ今後犯罪が爆発的に増える」というトニー・アボット首相の発言にも「バカげた発言」との反発が出ていた。
結局、労働党は「ジャーナリストの電話、インターネット通信の保護条項を盛り込むこと」などを条件に法案を支持した。しかし、緑の党のスコット・ラドラム通信スポークスマンは、「この法案は、受動的大規模監視体制そのものだ。政府が守る義務を負う自由を政府が自ら腐食させようとしている」と批判している。また、多数の修正案を用意しており、保管期間を3か月に短縮することやメタデータを当局が閲覧する場合にも裁判所の令状を必要とすることなどを盛り込む考え。
これに対して、マルコム・タンブル通信相は、「緑の党の修正案はやり過ぎ。ほとんどの場合、当局は電話の持ち主やユーザーを調べるだけ」と反論している。しかし、クリスティン・ミルン緑の党党首は、「将来、このメタデータがどのように用いられるか、何の保証もない」と語っている。また、デビッド・レヨンヒエルム自由民主党上院議員は、「ペドファイルなどの犯罪者は法の網をくぐるためにはるかに狡猾に立ち回っている。この法案は犯罪検挙をやさしくするどころかむしろ難しくするだけだ。結局、犯罪者ではなく全国民を監視体制の下に置くだけだ。しかもメタデータの量を考えればテロリズムを追跡するのもむしろ困難になるだけだ」と批判している。
現在はメタデータ保管の経費は3億ドルと見積もられており、全額が税金からまかなわれる。
■ソース
Metadata legislation debate begins in Senate with Greens set to move raft of amendments | 2017-03-24T23:59:21 | 0.017791 | <urn:uuid:972e1297-a1ff-4e95-8f21-9e2e43b633d4> |
Why the long face?
月曜日のレッスンで英語のジョークをいくつかご紹介しました。いずれも慣用句を用いたジョークですので、それぞれの慣用句についてちょっとお話いたしましょう。
What happens when you throw your clock out the window?
– Time flies.
「時計を窓から放り投げたら何が起きるでしょう?」
ごく現実的に考えれば時計は引力の法則にしたがって地上に落下します。でもここで素直に落下しちゃったら話が落ちない。そこで摩訶不思議。時計に羽が生えてひらひら飛んでいってしまうんですね。
で、時間が飛んでいく( ´艸`) Time flies は時が瞬く間に過ぎ去る様を表す慣用句です。Time flies like an arrow とも言います。いわゆる「光陰矢のごとし」ですね。
例えば、楽しいときは経つのが速い。「おや、もうこんな時間だ」「ほんと、あっという間だったわね」なんて会話があるでしょう。
英語ではこの「あっという間だったわね」に相当する表現として time flies を使います。How time flies! なんて言い方もします。
Why are the baby strawberries crying?
– Because their parents are in a jam.
「どうして赤ちゃんイチゴは泣いているの?」「だってお母さんイチゴとお父さんイチゴが in a jam なんだもん。」
うーん、ジャムの中?イチゴにつられてパンに塗ったりヨーグルトに入れたりする食べ物のジャムを思い浮かべてしまうのですが、この jam は何かが「詰まったり、つかえたりすること」です。「窮地、苦境、ピンチ」などの訳語が充てられることもあります。be in a jam で「窮地に陥る」とか「苦境に立たされる」という意味になります。
あるいは。traffic jam という表現、聞いたことありませんか? いわゆる「交通渋滞」です。車の渋滞に引っかかって立ち往生する。これも jam なんですね。
では表題の long face について。
A horse goes into a bar and the bartender says “Why the long face?”
「馬が飲み屋に入っていくと、飲み屋の亭主が言いました。なんで顔が長いんだ? 」
なんかこのままでもけっこう笑っちゃうんですが、long face の意味が分かっていると、「なるほどね」となります( ´艸`)
わたくしが愛用する英英辞典 Macmillan は long face を a sad, disappointed, or serious expression on someone’s face と説明しています。「悲しみ、落胆、深刻な表情」ということです。このジョークでは馬の文字通り「長い顔」と、慣用句としての意味「浮かない顔」を引っかけているんですね。
こういう簡単なジョークをいくつか覚えておくとパーティなどの席上、アイスブレーカーとしても使えます。でもすらすら言えないと台無しなので、日頃から練習しておくとよいですよ(^^) | 2017-03-25T00:01:45 | 0.04004 | <urn:uuid:f6f678ce-7c60-4e41-83ed-c973a72b8994> |
細川俊夫ポートレート @東京オペラシティ リサイタルホール
Masatake Konno 日曜日, 5月 20, 2012 ライヴ
尺八:田嶋直士 リコーダー:鈴木俊哉 ソプラノ:平松英子
ハープ:吉野直子 笙:宮田まゆみ ピアノ:児玉 桃 ヴァイオリン:亀井庸州
ネクストマッシュルームプロモーション
(クラリネット:上田 希、ヴァイオリン:辺見康孝 ヴィオラ:般若佳子、チェロ:多井智紀)
【講演】東京オペラシティが主催する現代音楽コンサート・シリーズ「コンポージアム」、2012年のテーマ作曲家は細川俊夫。このシリーズのテーマ作曲家は同年の武満徹作曲賞の審査員となるが、日本人作曲家が選ばれたのは湯浅譲二、西村朗に次いで3人目である。関連企画である「細川俊夫ポートレート」では、彼の講演と室内楽作品が披露された。
細川俊夫「自作を語る」
演奏:田嶋直士(尺八)
【コンサート1】
細川俊夫:
線 I b(1984) 鈴木俊哉(リコーダー)
うつろひ(1986) 宮田まゆみ(笙)、吉野直子(ハープ)
恋歌 I(1986) 平松英子(ソプラノ)、吉野直子(ハープ)
鳥たちへの断章 III b(1990) 鈴木俊哉(リコーダー)、宮田まゆみ(笙)
【コンサート2】
細川俊夫:
ピエール・ブーレーズのための俳句(2000) 児玉 桃(ピアノ)
沈黙の花(1998) 辺見康孝(ヴァイオリン)、亀井庸州(ヴァイオリン)、般若佳子(ヴィオラ)、多井智紀(チェロ)
ランドスケープ V(1993) 宮田まゆみ(笙)、辺見康孝(ヴァイオリン)、亀井庸州(ヴァイオリン)、般若佳子(ヴィオラ)、多井智紀(チェロ)
ゲジーネ(2009) 吉野直子(ハープ)
時の花(2008) 上田 希(クラリネット)、辺見康孝(ヴァイオリン)、多井智紀(チェロ)、児玉 桃(ピアノ)
昨年の2月にベルリン・フィルからの委嘱新作が初演されたのは、テレビのニュースでも取り上げられるほど注目されていた。近年、国際的に活躍する日本人作曲家として藤倉大の名前が脚光を浴びているが《ポスト武満》の作曲家と見做され、ヨーロッパを主戦場にして活躍していたのは細川俊夫のほうがずっと先だ。彼の講演内容は、そうしたヨーロッパでの活動のなかで見てきたものと日本の音楽の状況、そしてヨーロッパで活動する日本人作曲家として書こうとしたものについてがメインだった。
乱暴に彼の言葉の一部をまとめるならば「日本の音楽文化なり、現代音楽はヨーロッパと比べたらまだまだ表層的で浅い。ヨーロッパの深さには全然かなわない」というものであり、それは「東洋人のクラシックなんて、ニセモノざんす!」というイヤミ式の態度表明にも聞こえなくもない。ヘルムート・ラッヘンマンのクラシックに対する造詣の深さが言及されていたが、それは、ヨーロッパの思想家たちが哲学史を一通り押さえて《現代思想》をやっている、日本の現代思想は……という話とも通ずる。
個人的には、ニセモノ、であるがゆえに、ヨーロッパにはないモノが生まれる可能性もあるし、もはや《日本の状況》が現実として存在し、一定の価値観をもって動いている以上、ヨーロッパ基準で状況を評価しなくても良いんじゃ? とも思う。結局のところ、細川が書きたかった音楽はヨーロッパで評価され、そっちの環境のほうが居心地が良かった。それだけの話では? という。
西洋の音楽手法を使いながら、日本古来の時間感覚や美の感覚を表現することによって、西洋音楽の伝統の深さに対抗しよう、というコンセプト自体、浅はかなもの、と言えようし、確かに細川の音楽で抽象的に提示される「日本的なもの」は、抽象的であるがゆえに「深そう」に聞こえる、けれども、ホントに深いの? 作曲家の説明によって、これは日本の○○という感覚を表現しようとした作品です、と言われ、なるほど、と納得してしまうような感覚って、実は全然浅いのでは? 例えば、笙と弦楽四重奏の作品で、弦楽四重奏をもう一本の笙と見立てた、と細川によって紹介された《ランドスケープV》の発想は、ピアノをギロに見立てるなどの「器楽によるミュージック・コンクレート(ラッヘンマン)」を想起させる、けれども、近衛秀麿による管弦楽版《越天楽》のごとき、表層的なものなのでは……?
……などとブツブツ言いたくなるが、作品、演奏ともに素晴らしい演奏会だった。笙とハープによる《うつろひ》の、時間がはっきりとした刻みを持たずに漸次的な変容を示し、笙(天体)とハープ(人間)が関連し万物照応を示す様は、小さな編成ながらとても雄大な音楽として聴こえ、また、《鳥たちへの断章 III b》では笙のハーモニーを背景に、リコーダーの音色が鋭く置かれていく様子は、たしかに、和紙のうえに墨の斑点が素早く飛び散る様子をイメージしてしまう。これが深いか、浅いか、の判断はさておき、細川俊夫という作曲家が日本人でありながら、日本を発見する作曲家である、ということは充分に感じられた。 | 2017-03-25T00:04:36 | 0.055748 | <urn:uuid:f0cf2b13-47df-45c3-a5af-776168d661ff> |
今日は先日ゴルフ番組のロケに協力してくれた埼玉の森林公園ゴルフクラブで、プライベートでゴルフをしてきました。
大変良いコンディションで、コース内の梅の花も目を楽しませてくれました。
このコースは去年遼クンがテレビマッチを行った場所で、遼クンのドライバーショットの飛距離を示すフラッグが毎ホールに刺してあります。
マイボールとは毎回100ヤード近く差があり、最大で約150ヤードというホールもありました!
トホホ・・。
スコアはまたしても大台近くの大叩きでしたが、お天気が良かったのでヨシとしましょう!
もうすぐ桜も咲くでしょうから。 | 2017-03-25T00:02:37 | 0.040649 | <urn:uuid:8344a7ea-cd1d-4bf4-b47f-a0d31a532811> |
国会答弁で口をすべらせた細野原発担当大臣
この事は私も天木直人氏が指摘するまでまったく気が付きませんでした。また新聞報道もこの通りだったとすると、政府とマスコミはつるんで国民を欺いた事になります。
福島第一原発の事故は全然終息には向かっていません。熔解した原子炉の情況も不明のままですし、冷温停止とは程遠い状況です。除染も地元住民の希望とはかけ離れた内容ですし、子供たちの被曝も改善されているとは言い難いです。
今日の参院での最後の質問者の社民党党首福島みずほ議員の食い下がる質問にも野田総理はただはぐらかすだけの方策しかありませんでした。10万年もの間溜まり続ける核廃棄物をどうするのか、の質問に的確に答え得る政治家は誰もいないのです。いや、政治家だけではありません。人類は核をコントロールするテクノロジーを持っていないのです。それを称してトイレの無いマンションというのです。直ちに原発を停止せよという福島党首の質問の迫力に、野田首相ははぐらかしで答えるのが精一杯でした。
| 固定リンク | 2017-03-25T00:03:59 | 0.021478 | <urn:uuid:0210eb62-6e76-40b7-9f7b-337c0946d30f> |
「よかドック」は
福岡市国民健康保険の特定健診の愛称で
生活習慣病を予防する健診です。
現在、死亡原因の約6割は糖尿病などの生活習慣病で、
その発症前の方と予備群をあわせた割合は、40歳以上が高く、
男性の2人に1人、女性の5人に1人に達しています。
糖尿病、高血圧症、脂質異常症などは、自覚症状のないうちに進行し、
動脈硬化につながり、心疾患や脳血管疾患などの重い病気を引き起こす
ことが知られており、健診以外ではチェックできません。
さっそく受診に行きましょう!
たとえ自覚症状がなくても、
年に一度は「よかドック」を受けて、
早期から予防しましょう! | 2017-03-25T00:05:05 | 0.423954 | <urn:uuid:95f46ef8-9667-4422-a3b4-99af9936a2fe> |
サイゾーウーマン芸能大沢樹生裁判“実父たち”の現在 芸能 元・光GENJIの大沢樹生「長男が実子ではない」判決で浮かび上がる“実の父親たち”の現在 2015.11.26 ツイート 『関西極道 流血の抗争史~哀愁の刃 編~』(GPミュージアムソフト) 元・光GENJIの俳優・大沢樹生(46)が、女優・喜多嶋舞(43)との間に生まれたとされる長男(18)が実子かどうかを争った訴訟で、東京家裁は11月19日、大沢と長男が親子関係はないとの判決を言い渡した。この結果で気になるのは元タレントやシンガポール在住の美容師など「実の父親」といわれる人物の存在だろう。 大沢と喜多嶋は1996年6月に結婚し、約7カ月後に長男をもうけたが、2005年に離婚。この2~3年後に元夫妻それぞれが再婚。長男は大沢が育てていたが、3年前にその長男が「両親から虐待を受けていた」と告白する騒ぎがあり、これに対して大沢がDNA鑑定により、長男との血縁がないことを主張し始めた。 過去「喜多嶋が長男の父が別にいることを話していた」と言い、長男が18歳になるのを待って訴訟を起こしたという。一方の喜多嶋は「断言します。父親は大沢さんです」と言い切っていた。 法廷で裁判官は「親子関係が存在しないことを確認する」と主文を述べた。現在、長男の親権は「鑑定書は偽物」とまで言い切っていた米国在住の喜多嶋の父親、音楽プロデューサーの喜多嶋修氏と、母親で元女優の内藤洋子が持っているといわれる。判決が確定すれば、長男は大沢の遺産相続人でなくなり、過去の養育費を請求される可能性もある。 気になるのは、争っている間、複数の男性が「自分が父親」と名乗りを上げていたことだ。シンガポール在住の40代美容師K氏は「もしかしたら自分が長男の父親かもしれない」と話し、かつて喜多嶋と交際していたことを明かした。破局したのは「一部雑誌に報じられてしまい、私は若い頃に刑事事件を起こしたことがあって舞さんに迷惑がかかると思って身を引きました」とし、交際期間は2カ月にも満たなかったというが、その時期が喜多嶋の出産から算出したものと重なり「もしも自分の子どもだったら会いたい。DNA鑑定を受けてもいい」とまで言っていた。 今回の判決を受けて、改めてK氏に話を聞いてみると「マスコミに話さないように言われているのでお答えできない」とコメントを拒んだ。誰からそれを言われたのかは明かさなかったが、「喉まで出かかっているんですけど」と、何か言いたそうな素振りはあった。 12次のページ サイゾーウーマン【裏】掲示板へ 今、あなたにオススメ オンナの[裏]掲示板 新着コメント 嫌いな芸能人【5】 俺の友人に松潤好きな人はいない。 松潤はいい年して俺様って感じでイヤミな感じ。 イラつくCM SoftBankのXPERIAのCM。 docomoやauのXPERIAのCMは素晴らしかったけどSoftBankのXPERIAのCMだけズレテル。 いきなり結婚式とかマジ不愉快。 昔好きだった少女マンガ >>19>ここのトピ「昔好きだったマンガ」の方がよかったかも。 そうですね。 私小学生の頃は「りぼん」読んでいたけど、段々少女漫画の世界観が苦手になってきて(好きな方いらしたら申し訳な… 40代集まれ【3】 そうだ、ガルちゃんの「80年代トピ」に新宿の東亜会館ってあったけど、ぞそ姐はご存知ですか? ガルちゃんはコメ数が多くて、書き込む気がしない。ちょっと覗く程度だな。あたしはここのまったりした感じが好き… ジャニーズ事務所の今後…… 「コードブルー」は山P主演。それを変えろと言うのは、おかしい話。フジテレビは、よく撥ね付けたと称賛したい。 どこまで、我欲を押し通したいのかな、この事務所の副社長は。ゲスにも程がある。 トピック一覧を見る サイゾーウーマンのSNS 「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。 @litera_webさんをフォロー 関連リンク 関連キーワード 雑誌離婚音楽光GENJI大沢樹生女優裁判再婚喜多嶋舞俳優 元・光GENJIの大沢樹生「長男が実子ではない」判決で浮かび上がる“実の父親たち”の現在のページです。サイゾーウーマンはジャニーズ(嵐、SMAP、TOKIO、KinKi Kids、V6、NEWS、関ジャニ∞、KAT-TUN、Hey!Say!JUMP、Kis-My-Ft2、Sexy Zone)の最新ニュースのほか、ここでしか読めない裏芸能ゴシップなどをお届けします。女性誌レビューやコラム、インタビューなども充実! のニュースならサイゾーウーマンへ! | 2017-03-24T23:59:49 | 0.035777 | <urn:uuid:ec7929bc-8291-4a51-a192-f950d2f01a98> |
ロンドンに学ぶ観光戦略
諸般の事情があって早めの夏休みを取り、6月のロンドンを観光旅行してきた。ポンドが高くて円が安いので、物価高を全身で受け止めることになってしまったが、まことに良い季節をエンジョイできた。冬が長くて暗い英国では、この時期の到来を皆が待ち望んでいる。日本のような湿気はないし、空は抜けるように青いのだ。
なるほど「6月の花嫁」という言葉は、こういう季節のことを言っていたのかと得心がいった。以前から、梅雨のじめじめした時期の日本で、「ジューンブライド」を持て囃すのはどこか変だなと思っていた。一説によればこの言葉は、日本のホテルや式場が毎年、挙式が少なくなるこの時期を乗り切るために、「欧州では6月の花嫁は幸福になるんですって!」と喧伝したのが発端であったのだそうだ。
ロンドンを散歩しているうちに、子どもの頃に繰り返し読んだ『ボートの三人男』が、初夏もしくは晩春のテームズ河を美しく描写していたことを思い出した。19世紀末に書かれた抱腹絶倒のユーモア小説、テームズ河畔の歴史や観光事情を紹介した名紀行文、あるいは緩急自在のエッセイと言えようか。今でいう「プチ鬱」になった3人の英国紳士が、1匹の犬をお供に気晴らしのボート遊びに出かけ、各地で騒動を起こす。丸谷才一の翻訳(中公文庫版)も手伝って、百年経っても魅力を失わない不思議な読み物である。 | 2017-03-24T23:53:44 | 0.024206 | <urn:uuid:759b0867-2fee-46b1-986c-57c0fc00db76> |
数年前に発生したサブプライム問題は、アメリカの住宅ローンの単なる返済遅延が始まりでしたが、その後、欧米の金融機関に巨大な損失をもたらし、ついには世界各国の経済にまで影響を及ぼしました。その結果、欧米の金融機関は、生き延びるためアジアや中東の国富ファンドの資金援助を請わざるを得なくなり、ついに08年1月の世界同時株安にまで発展したのです。この悪夢のようなスパイラルの過程で失ったものは、単に住宅の価値や、証券化商品の価格、金融機関の時価総額という表面的なものに留まりません。格付け制度や金融保証保険(モノライン保険)、借金を使って利益を膨らませるビジネス戦略といった「欧米流の金融のあり方」、あるいは「欧米流の金融制度やインフラ」に対する疑念が生じたことの方が重要なのです。つまり、サブプライム問題を通して、世界中の投資家が「レバレッジを使って利益を嵩上げする」というやり方に疑いを持ったのです。ここでいう「レバレッジ」とは、他人から借金をして利益を増加させる手法全体を指しています。 | 2017-03-24T23:52:44 | 0.297666 | <urn:uuid:872757c9-0df8-49e3-b0de-b7145667aa7f> |
(神奈川県 35歳 女性 主婦のQ &A)
カテゴリ:
[神奈川県 35歳 女性 主婦]
潰瘍の形態は縁は多少隆起し、底面は灰白色です。
こういう潰瘍ができた場合、刺激となるものを取り除きます。それで消えるようなら大丈夫ですが消えないようなら扁平上皮癌との鑑別が必要となります。今、上の歯肉に下の歯がつきあげて圧痕がついているようですがそれがだんだん傷になるようなら痛みがでますし何かの拍子に潰瘍にならないとは限りません。主治医の先生はそのことをご指摘なされたと思います。
ここは、歯科医院というところはお嫌いでしょうが通っていただいて、そういう危険性を考えなくても済むようにかみ合わせを回復できるよう診療を受けられてはいかがでしょうか。 | 2017-03-24T23:54:27 | 0.075352 | <urn:uuid:90d15586-1f6d-4f79-bdb8-ad40612e39e9> |
Welcome to Outdoor Gear Maniacs!
世界中のアウトトドアギアを探求し、価値ある商品を実際に使い続けた結果、私たちは SIX MOON DESIGNS(シックス・ムーン・デザインズ) というアメリカのオレゴン州ポートランドにある小さな会社と出会いました。
自然の中で見つけられる燃料や木、固形燃料、アルコールバーナー、アルコールを用いることができるこのキャンプファイヤーストーブです。 大きなダッチオーブンも小さな調理器具もOK!
それは世界最軽量ハンモック。1人サイズの重さはわずか147g。それでいて140kgまでの重量がOKなのです。
Steve’s Outdoor Tips
シックスムーンデザインズの2016のあたらしいバックパック
このビデオは、Steveがシックスムーンデザインズのルナーデュオテントを紹介しています。
このビデオは、Steveがシックスムーンデザインズのルナーソロテントを紹介しています。
20年前から現在に至るまで、使用したハイキングギアの変遷を紹介。
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>> Steve’s Outdoor Tips一覧 | 2017-03-24T23:58:12 | 0.049883 | <urn:uuid:420cddfb-88f2-40ab-b12f-28e319fce120> |
読書ノート、「読み終えた後は」画面、「読書情報」画面で評価をつけることができます。
異色魔王の魔族統一ファンタジー、待望の第3章!「勇者に滅ぼされる」運命を回避すべく、魔王ヴェルムドールは暗黒大陸の再建と人類領域での調査をサクサク行い、ついに人類領域四大国の一つ、ジオル森王国と友好条約を締結する。着々と戦争への備えを進めるヴェルムドール。ところが、それを阻むかのように、人類領域ではどこからともなく現れる謎の魔族アルヴァの襲撃が頻発していた。アルヴァを裏で操るのは一体何者なのか? そしてその狙いとは――?
本文の終わりです | 2017-03-25T00:56:03 | 0.019437 | <urn:uuid:4c363c0f-a793-46f6-b2f8-c60037cbd2df> |
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株式なくしては、各国の経済に不可欠な株式市場は成り立たないでしょう。ここでは、株式取引が個人投資家の収入源と大きな資産になる一方、いかに企業の拡大・成長につながるかということを学びます。
ポジションを保有・清算できるいくつかの方法を学びます。単純な直接取引から、人がいなくても自動で指示を出すような取引までいろいろあります。注文取引により、利益額をあらかじめ設定したり損失額に対してストップをかけたりできます。複数の注文方法を紹介するとともに、利用方法を説明いたします。
主要株価指数と非主要株価指数の目的、さらにその算出方法について理解します。世界で最もポピュラーな取引商品のいくつかを例に挙げ、株価指数という乱高下の激しい市場のエクスポージャーを得る方法を学びます。 | 2017-03-25T00:03:02 | 0.028194 | <urn:uuid:297e49be-482e-4efd-ad6f-3c58a9a247b2> |
超能力に興味のある関係者各位
「超能力ラボ」より重要なお知らせ
2007年7月7日、私たちは超能力の存在を確かめるために「超能力ラボ」を立ち上げました。
「超能力ラボ」は、ネットの力で超能力の存在を証明するサイト。
第一弾企画として7月7日~7月21日に「スプーン曲げ」を実施。Webカムの前に密閉状態のスプーンを置き、ユーザの念力を送って曲げるという試みです。述べ参加人数14,652人という大変な盛り上がりを見せたものの、2週間の期間中スプーンは曲がらず、実験は終了しました。
そして第二弾企画、「透視」実験が7月22日~8月6日とりおこなわれました。
事務局が紙に図形を描き、封筒に入れます。サイトに訪れたユーザに、その封筒の中に描かれた絵を透視して、同じ絵を描いてもらうという実験です。
その結果、なんと全出題の問題のうち、ほぼ全てに対し、どうみても「透視」したとしか思えない回答が含まれている、という事実が明らかになりました。
下記にその全結果を掲載いたします。どうぞご自分の目で真実の結果を確かめてください。 | 2017-03-25T00:03:41 | 0.034312 | <urn:uuid:20874dd5-e523-4772-bcae-79484486842c> |
埋まらない...絶対に。
日本のSIerの構造ではギークは評価されず、スーツが評価される
ばかり。SIerの経営者の頭の中では仕様書が完成した時点で
システムは完成したも同然という誤った認識が蔓延っている。
ギークを仕様書の転記屋くらいにしか認識していないのである。
SIerのスーツは頭の中の穴だらけの仕様を仕様書におとし、
そのツケを全てギークにまわすことが多いにも関わらずである。
スーツの多くは穴だらけの仕様による不具合を全てギークのせい
にして自分に非がないかのように振舞う。
SIerのスーツは「ユーザ」を持ち出して自分に都合の
よい方便でギークを納得させようとする。
そこで、スーツの言い分に騙されるようでは"お先、真暗"。
SIerのスーツにとって、建前上お客さんは大事、実際は
ユーザ第一と言いながら、ユーザからの対価(=自分への対価)
が第一。
スーツはスーツの論理で動いていて、ギークを理解しよう
とはしない、理解しているふりをするのみである。
ギークに自分の論理を押し付けて、上手く使おうという
スーツが大半。
スーツはギークがいなければ何もできない、仕様があっても
優秀な実装者がいなくてはシステムは完成しないが、
ギークを自分と対等だと思っているスーツは日本のSIerには
いない。
真のギークを目指すなら、SIerでスーツと仕事をするあるいは
し続けるのは百害あって一利なし、時間の無駄。 | 2017-03-25T23:45:10 | 0.022279 | <urn:uuid:13af46df-0594-4fe6-bf53-8b296dbc9142> |
装置の下に抜けた信号は、次に「隔壁の移動」を行います。
どのようにして信号が「隔壁の移動」を行うのでしょうか。
右の図をご覧下さい。丸が信号、四角が隔壁を表しています。
2つの物体の2回の衝突で、物体の移動、停止が実現できます。
(光子も運動量を持っています。)
薄い板の隙間を抜けた信号は、その直後に隔壁と衝突し、隔壁を手前側(X軸の小さい方)に移動します。
板の隙間を抜けた直後であれば、隔壁と分子の位置が特定できていることに注意してください。
隔壁の位置が特定できているので、移動することが可能なのです。
また、分子の位置についても手前側(X軸の小さい側)にあることが特定できているので、
移動後にも、分子が手前側(X軸の小さい側)にあることが保証されます。
(隔壁の移動に時間を要すると、分子がどこかにいってしまう可能性があります。
なので、信号の速度は分子よりも十分速く、また、隔壁の移動はできるだけ素早く行う必要があります。)
このようにして隔壁の位置を手前側(X軸の小さい側)に「巻き戻せば」、
熱運動する分子から再び仕事を取り出す準備が整ったことになります。
仕事を取り出し終えた後、隔壁は箱の奥の端(X軸の大きい側)に来ています。
これまで見てきた信号の仕組みによって、隔壁を再び手前側(X軸の小さい側)に戻せば、
分子と隔壁は仕事を取り出す以前の状態に戻ったことになるでしょう。
しかし、この段階では、まだ信号が完全に元の状態に戻ってはいません。
なので、もう少し信号の行き先を調べる必要があります。 | 2017-03-25T23:33:37 | 0.128078 | <urn:uuid:9de83e44-9437-4992-b0f7-b580cd771430> |
■長野善光寺11(2003年・御開帳1)
□仏教宗学研究会の書庫の中から発見された2003年の善光寺「御開帳」参詣の時の写真
昨年、「仏教宗学研究会」の書棚・書庫に格蔵されている膨大な量の書籍・史料・写真等を整理していたら、2003年に長野善光寺「御開帳」に参詣した時の写真が発見されました。あの時も、新幹線を利用して長野に行った記憶があります。ホテルはどこに宿泊したのか、記憶がありませんし、メモも記録も日記も残っていません。彼の当時は、「mixi」も「GREE」もブログもやっていませんでしたし。もちろん、「仏教宗学研究会のブログ」の記事・投稿は、自分で筆記したメモ、記録、日記を元にして書いています。 | 2017-03-25T23:34:52 | 0.02809 | <urn:uuid:5fb1e6e5-e48f-42a8-b01f-a4e823f6e3ec> |
2011年03月23日 21:42
チャン・グンソク、ジョンヨンファ韓流ドラマ映画男主演世代交代の風
チャングンソク'私、人気あるみたい?!'
俳優チャングンソクが22日午後ロンドンでの写真集撮影を終えて仁川(インジョン)国際空港を通じて入国した。
KE908のロンドン発で入国したチャングンソクは、トレンディな服装でマネージャーと入国場を悠々と抜けていた。
取材陣は、キ・ソンリョンの入国を見るためにきたが、入国の数分前に少女ファンたちが殺到してキ・ソンリョンとチャン・グンソクが同じ飛行機に乗って入国するということを知った。
一方、キ・ソンリョンは決まったゲートBではなくAに静かに入国場を抜けていた。
美男トロイカ'ポストヨン様'選別しよう
ジョンヨンファ·イホンギ·チャングンソク、新しい作品で、日攻略
韓流ドラマ映画男主演世代交代の風
'美男'トロイカが'ポスト'ヨン様の席を置き、激しい競争に突入した。
話題の主人公は、ジョン・ヨンファ、イ・ホンギ、チャン・グンソク。
彼らはすべて、2010年、日本で最高の収益を記録したSBSドラマ‘美男<イケメン>ですね’一緒に出演した。
最近、新しい作品で、日本市場をノックしている。
三人は最近、先を争って日本のドラマや映画の主演に抜擢されているかというと日本での放送が予定された韓国ドラマの主演で登場する。
新韓流の主役に浮上した彼らがペヨンジュンの牙城に挑戦する姿である。
砲門は開いたのはジョンヨンファ。
彼は2011年6月から放送されるMBCドラマ<フェスティバル>の主人公イ・シンにキャスティングされた。
音楽に埋もれて生活しているがさつな性格の人物で、ドラマ中でも、バンドのリードボーカルとして登場する。
‘美男<イケメン>ですね’に一緒に出演したパク・シネが相手役で出てくる。
このドラマは、企画段階から日本市場を念頭に置いた作品である。
4月中に日本での現地ロケを兼ねた製作報告会を開く計画もある。
大地震(東北災害)の影響で日程に支障が生じたが、日本国内の関心だけは、まだ熱い。
このドラマの関係者は"日本日程が延期されたが、放映権を置いて競争が熾烈だ。‘美男<イケメン>ですね’の二人の主演が登場し、日本国内の関心が熱い"と話した。
イ・ホンギの行歩も注目される。
彼は日本のTBSで、4月から放映されるドラマ<マッスルガール(Muscle girl)>の男主人公に抜擢された。
彼は今回の作品で、映画<呪怨>に出演した市川由衣と呼吸を合わせる。
国内グループ出身の俳優が日本の地上波のドラマに出演するのはJYJキム・ジェジュンが昨年のフジTVドラマ<素直になれなくて>の主人公として出演して以来、イ・ホンギが二番目だ。
イホンギが属しているFTアイランドがドラマのOSTにも参加する計画だから話題になっている。
チャングンソクも日本列島をときめかせている。
彼は4日、日本の茨城県で映画<君はペット>製作発表会を通じて3,500人のマスコミ関係者やファンに会った。
この作品は、日本の原作の漫画の旋風的な人気に続き、日本放送TBSでドラマでも放映されたヒット作である。
この作品は、チャングンソクと呼ばれる興行のカードを掲げて、日本資本の投資を受けて国内のスタッフと俳優が参加した。
だから、チャングンソクの日本の人気を見積ることができる作品でもある。
チャングンソクは、この映画の中で偶然に一人の女性の『ペット(ペット男)』になって財政的能力はあるが、恋愛には何も知らないヒロインとの奇妙な同居を繰り広げていく。
韓流のビジネス関係者は"昨年、アイドルグループを中心に、K- POPの市場が急成長した。
今年を基点に、ドラマや映画の主演も、世代交代があるように見える。
ジョン・ヨンファ、イホンギ、チャングンソクなど‘美男<イケメン>ですね’出演俳優たちの躍進が目立っていた"と話した。
ジョン・ヨンファ下車心境告白“ソ・ヒョンと親しくなったので…残念だ”
シエンブルー(CNBLUE)ジョン・ヨンファがMBC『私たち結婚しました(ウギョル)』で下車した心境を明らかにした。
2011年3月21日午後、ソウル永登浦(ヨンドンポ)、タイムズスクエアで行われたシエンブル(CNBLUE)正規1集『ファーストステップ(First step)』発売記念ショーケースで記者懇談会を持ったジョン・ヨンファは'私たち結婚しました'降板の心境について、"さびしい"と伝えた。
ジョン・ヨンファは"もっと優しくできなくて残念な部分が多い。1年間ソヒョンと仮想結婚をしながら出来なかったデートもさんざんして感じた点も多い"と話した。
続いて、"本当の結婚ではなかったけど、結婚はお互いに1%の物足りなさもなく、よくしてあげるべきだと感じた”と伝えた。
また、ソヒョンに対して"情も深くなった"と述べ、"今後もお互いの活動に応援を送ること"と愛情を示した。
一方、ジョン・ヨンファとソヒョンは、各自4月から音楽活動を始めることに伴い、『私たち結婚しました(ウギョル)』'で下車を決定した。
ジョン・ヨンファ·カン・ミンヒョクドラマ『フェスティバル』に同伴キャスティング
シエンブルー(CNBLUE)のボーカルジョン・ヨンファが‘美男<イケメン>ですね’に続き、再び演技に挑戦する。
今回はチームのメンバーカン・ミンヒョクも一緒にする。
ジョン・ヨンファとカン・ミンヒョクは、MBCドラマ『フェスティバル』に一緒にキャスティングされた。
CNBLUEは3月21日、ソウル永登浦、タイムズスクエアエムポプで、初のオリジナルアルバム『ファーストステップ』(First Step)の発売記念記者懇談会を開いた。
この席で、ジョン・ヨンファは、"アルバムと同様、今回のドラマをすることになったが、カン・ミンヒョクも一緒に出演することになった。演技の練習に熱中している"とドラマ出演を発表した。
ジョン・ヨンファは"『フェスティバル』でイ・シン役割を引き受けたが、イシンは、音楽以外に何も関心ないカドナムだ。
キャラクターに没頭して最近、バンドの弟たちに冷たくふるまっている"と説明した。
"イシンもバンドのボーカルだから私と似ている点もあるようだ。キャラクターをよく掴んでいる途中"と付け加えた。
カン・ミンヒョクも"ドラマにジョン・ヨンファは主人公で、私はヨジュンと言う役割に挑戦することになった。初ドラマに挑戦ではなくて『大丈夫パパの娘』に続き、今回が二回目だ。
より発展した姿をお見せする"と覚悟を明らかにした。
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- 2010年チャン・グンソク日本ツアー福岡到着“2010 JANG KEUN SUK JAPAN TOUR” | 2017-03-25T23:37:46 | 0.04783 | <urn:uuid:0a6dbf60-a334-45f7-a14e-0a93a2b683f8> |
藤原です。
ある会員様では、ドクターと動物看護師で経営チームを作っている。
あるテーマでの仕事を分担してお願いしたが、提出されるものの精度に差が出ていた。
どうしても、ドクターと動物看護師の差がすぐには埋まらないため、提出するレベルを変えてお願いした。
すると、動物看護師も一生懸命考え、良いものを提出しだしてくれた。
これくらいならできるかも?というレベルに引き下げることをしないと、実施する前にブロックがかかってしまう。
そのため、個別での力を見極め、力相応に仕事をコントロールすることが大切である。
力相応に業務を考え、小さな成功体験を積み重ねていくことが、非常に大切だと感じた。 | 2017-03-25T23:34:09 | 0.024912 | <urn:uuid:fd34822a-ba69-4ca6-b2f6-d35d90fe58d9> |
結論:植物性出汁は可能
動物性出汁は、家畜からのものと、川魚からのものを使用
幻想郷に海は無いため、鰹節や鰯節などの出汁【だし】や、昆布出汁もできない。
幻想郷ではどのような出汁を取っているのだろうか。
- 植物性出汁
精進料理等では、干し椎茸を使用する。
他にも、大豆、モヤシなども使用されるらしいが?
- 動物性出汁(家畜系)
鶏(鶏肉や鶏ガラ)やスッポンなどで出汁を取れる。
- 動物性出汁(魚系)
川魚自体、干物などにされることは少ないが、できない訳ではない。
とある山間部ではイワナやヤマメを「焼き干し」と言う一種の燻製の様な干物にして、
出汁を取るのにも使用するという。
もっとも、魚を干物にした一番の理由は出汁を取るためではなく、保存食とすることで、
アユの干物なんかもあるらしい。
さて、日本料理では以上だが、国外の料理にまで話を拡大させると、バリエーションは増える。
- 西洋料理
牛、豚、鶏など色々な家畜を用いる。中にはウサギやイノシシ等も。
これらを野菜(タマネギ、ニンジン、セロリ等)と香辛料、香草等で煮込んで作る。
いわゆる『ブイヨン』である。
- 中華料理
豚、鶏、貝柱、干しエビ等を用いる。
もっとも、簡単な鍋物ならば、適当に肉や野菜を入れて煮込めば旨味成分が出てきて
それなりに食べれる。 | 2017-03-25T23:34:20 | 0.056325 | <urn:uuid:563e8998-0b6d-40f2-9e8a-12834d56ed8b> |
マーラーはアメリカからヨーロッパに戻っていた1909年の夏に交響曲第9番を完成させました。そして再びニューヨークへ行った1910年の冬に、この曲の修正にかかりきりになりました。それでもクリスマスには、妻アルマと娘と、家族だけで水入らずの楽しい時間を過ごしたそうです。それはマーラーがこの世を去ることになる僅か5ヶ月前のことでした。
『第9交響曲』の迷信におびえて、9番目の交響曲に「大地の歌」と名づけたマーラーにとって、この曲は本当は10番目の交響曲です。そして、後期ロマン派の巨人が完成させた最後の交響曲となったのです。果たして、この作品は生涯の大傑作となりました。曲の構造は第6番以来のシンプルな4楽章構成です。けれども内容は長い曲の中にぎっしりと詰め込まれています。
第1楽章 アンダンテ・コモード
第2楽章 ゆるやかなレントラー風のテンポで(歩くようにそして極めて粗野に)
第3楽章 ロンドーブルレスケ、アレグロ・アッサイ(極めて反抗的に)
第4楽章 アダージョ
なんといっても驚くべきは、この曲は長大であるにもかかわらず、どこをとってもおよそ無駄が無いことです。楽想は相変わらず、静けさ、激しさ、怖さ、優しさなどが、次々と表情を変えて繰り返されるマーラー調なのですが、音楽が結晶化されているために少しも停滞する事がありません。長い第1楽章から音楽の深さははかりしれず、生と死の狭間で激情的に揺れ動くマーラーの精神そのものです。第2楽章の素朴な雰囲気と中間部の高揚は心をとらえて止みません。第3楽章の激しさにも大いに惹かれます。この皮肉的な楽しさは、マーラーの現世との最後の戦いだったのでしょう。そして終楽章アダージョでは、とうとう黄泉の国に分け入ってゆくような神秘感を一杯に漂わせています。マーラーは自身の死を既にはっきりと予感していたのでしょう。僕はマーラーの全交響曲の中で、やはりこの曲が最も好きですが、古今の交響曲の中でも、肩を並べられるのはブルックナーの9番しか有りません。
僕はこの曲を一度演奏したことが有ります。もう三十年も前のことですが、大学を卒業した年に、当時交流のあった都内の大学数校のオーケストラによる合同コンサートが開かれたのです。指揮をしたのは久志本 涼さんでした。楽器を始めた時にはまさかマーラーの9番を演奏できるなどとは思ってもいませんでした。この2年前には「復活」を演奏することも出来ましたし、つくづく幸せな学生時代だったと思います。
聴き手として接した比較的最近の演奏では、2008年のパーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送響の来日公演があります。決してドロドロと情念の濃い表現では有りませんが、音楽への共感を深く感じられてとても良い演奏でした。彼のマーラーは是非また聴きたいと思っています。
この曲の愛聴盤はもちろん少なくは無いので全て聴き直すのが中々大変でしたが、順番にご紹介していきたいと思います。
ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1938年録音/EMI盤) ユダヤ系であったワルターは戦前からナチスによって様々な妨害を受けていましたが、これはオーストリアがドイツに占領される僅か2ヶ月前のウイーンでの歴史的演奏会です。これが単なる「記録」に留まらないのは、録音が非常に明快な為に、演奏を充分に鑑賞することが出来るからです。ここにはマーラーからその才能を高く評価されたワルターが、同じユダヤ系の師の音楽を命がけで守ろうという強靱な意思の力を感じます。現代の指揮者にこのような精神状態になれというのは無理な話です。真に「鬼気迫る演奏」というのはこのような演奏のことでしょう。
ブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1961年録音/CBS盤) あの壮絶な1938年盤と比べると、随分ゆったりと落ち着いた演奏です。「ゆったり」とは言っても緊張感に欠けるわけでは有りませんが、どうしても38年盤の印象が強すぎるのです。時にはかつてのような激しさを垣間見せたりもしますし、細部の表情づけも入念で、やはりワルターだけのことはあります。それをステレオ録音で聴けることは有り難いとは思います。でも、やっぱりどこかで「生ぬるさ」を感じてしまうのですね。
サー・ジョン・バルビローリ指揮ベルリン・フィル(1964年録音/EMI盤) 定期演奏会の余りの素晴らしさに楽団員たちが感激して、急遽録音を行うことになったという有名な演奏です。バルビローリのマーラーとしても5番、6番ではニューフィルハーモニアというオケの弱さがありましたが、ベルリン・フィルは最高です。阿修羅のようなバーンスタインが「現世での戦い」ならば、こちらはいわば「過ぎ去った戦いの追想」です。遠い昔を懐かしんでいるかのような風情がたまりません。特に弦楽の扱いの素晴らしさが、そういう雰囲気をかもし出すのだと思います。けれども熱さが無いわけではなく、静けさと熱さが同居する稀有な名演だと思います。
カレル・アンチェル指揮チェコ・フィル(1966年録音/スプラフォン盤) アンチェルが「プラハの春」事件で亡命する2年前の録音です。この人のお国もののドヴォルザークやスメタナは最高に好きですが、それ以外ではこれまで心底気に入った演奏はありません。この演奏も中々に立派な演奏ではあるのですが、バルビローリの後に聴くと、弱音部分でのニュアンスや共感度合いでどうしても聴き劣りしてしまいます。弦楽にも硬さを感じます。第3楽章ロンドーブルレスケは切れの良さで楽しめますが、少々健康的過ぎるのが気になります。ということで、アンチェルのファン以外には余りお勧めはできません。
ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮ロンドン響(1966年録音/BBCレジェンド盤) 知る人ぞ知るマーラー指揮者ホーレンシュタインの演奏は昔LPで聴いた6番が無骨ながらも非常に惹きつけられる演奏でした。1楽章冒頭の弦は意外にあっさりと開始しますが、徐々に情念と熱気の高まりを増してきます。やはりユダヤの血を感じます。2楽章は遅く穏やかで、これこそレントラー風です。但し中間部はスケール大きく聞かせます。第3楽章ロンドーブルレスケは無骨の極みで巨大な演奏に惹きつけられます。後半では鳥肌が立つほどです。アダージョも美しく深い演奏です。これはクナッパーツブッシュがマーラーを指揮したらかくやと思わせるような?演奏かもしれません。但しオケにミス、傷はだいぶ目立ちます。
オットー・クレンペラー指揮ウイーン・フィル(1968年録音/TESTAMENT盤) これはウイーンでのライブ録音です。柔らかい音色や人間味の溢れる味わいは確かに魅力的なのですが、この曲に要求される凝縮力や緊張感に欠ける気がします。録音のマイク・セッティングのせいで、オケが小編成に聞こえるのも気になります。この人の7番のような巨大な超名演と比べると満足し切れないというのが、正直な感想です。クレンペラーには1967年のニュー・フィルハーモニアとのスタジオ録音(EMI盤)も有り、3楽章での遅いテンポによる巨大な表現や終楽章後半は素晴らしいですが、全体としてはウイーンPOの魅力を聴ける、こちらの演奏のほうが良いとは思います。
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1975年録音/audite盤) これは東京のNHKホールでのライブ録音です。クーベリックのマーラーは大抵が速めのテンポで熱く、ユダヤ調のしつこさは無いのに感情に強く訴えかける、という具合ですが、この演奏もやはり同様です。但し、1、2楽章ではまだ少々燃焼不足を感じさせます。3楽章でエンジン全開となって、続くフィナーレではこの世の惜別の歌を感情一杯に聞かせてくれます。
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ響(1977年録音/グラモフォン盤) この演奏は昔、LP盤で愛聴しました。遅いテンポでスケールの大きな、いかにもジュリーニの演奏です。けれども、感情の嵐が吹き荒れるような部分でもイン・テンポを保つために、幾らか一本調子な感もあります。2楽章の中間部や3楽章などは、そのイン・テンポが確かに巨大な迫力を生んで素晴らしいのですけれど、ここまで感情の揺れが無いマーラーってのもどうかなぁ、と思わないでもありません。しかし、そこがジュリーニの魅力なのですね。分厚い音の合奏も、さすがにシカゴ響で聴き応えが有ります。
レナード・バーンスタイン指揮ベルリン・フィル(1979年録音/グラモフォン盤) バーンスタインがベルリン・フィルを振った余りにも有名な演奏です。当時FM放送からテープへ録音して何度も聴きました。この人のマーラーは必ずしも全てが最高だという訳ではないですが、9番だけは比較を絶する凄さです。壮絶さという点で並び得るのが戦前のワルターのみでしょう。全ての音が意味深く共感に溢れ、生と死の狭間で揺れるマーラーの精神がこれほどまでに音楽になり切っている例は他に決して無いと思います。あとは後年のコンセルトへボウ盤との比較のみです。
クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1979-80年録音/EMI盤) 晩年に入る前のスタジオ録音です。テンシュテットのライブ演奏の凄さを知る者にとっては、もの足りなさが残ると思います。これも普通に素晴らしい演奏なのは確かなのですが、どうしても期待が過大になってしまうからです。それでも部分的には彼らしい表現力に耳を奪われる瞬間は多く有ります。圧倒的な感動までに至らないのが残念です。ロンドン・フィルの力量は例によって、いまひとつというところです。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1982年録音/グラモフォン盤) カラヤンが手兵ベルリン・フィルとバーンスタインの演奏の評判の高さに対抗心を燃やしたとしか思えません。同じライブ盤を3年後に残したのですから。この演奏は美しく、アンサンブルも最高なのですが、およそ「死の翳り」というものは感じられません。余りに健康的だとも言えます。元々俗人のリヒャルト・シュトラウスを得意とするカラヤンとマーラーの生まれ変わりのようなバーンスタインとでは根本的に資質が異なります。マーラーを振って勝負になるはずが有りません。カラヤンがベルリン・フィルを二度とバーンスタインに振らせなかったのも何となくうなずけます。
ロリン・マゼール指揮ウイーン・フィル(1984年録音/CBS SONY盤) マーラーと縁の深いウイーン・フィルの演奏だというだけで惹かれてしまいます。戦前ほどの濃密さは無いですが、それでもこの柔らかい音は他のオケとは違います。それでいて現代的なアンサンブルも持ち合わせているので魅力的です。バーンスタインほどテンポに緩急はつけず、ジュリーニほどインテンポではないですが、バランスの良さを感じます。終楽章のみ少々速く感じますが、非常に美しいです。この演奏はウイーン・フィルのマーラーを良い録音で聴きたい方にはお勧めです。
レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1985年録音/グラモフォン盤) バーンスタインはカラヤンの邪魔立てを知ってか、それならと「へーん、ベルリンPOを振らなくったっていい演奏は出来るやーい」と、今度はコンセルトへボウと録音を行いました。こうなればマーラー演奏に伝統の有るコンセルトへボウは負けるわけには行きません。かくて両者の意地がベルリンPO以上の演奏が実現しました。スケールの大きさ、完成度ではこちらがずっと上です。3楽章のたたみかける迫力もベルリンPO以上。終楽章の神秘性、寂寥感も最高です。どちらか一つを選ぶなら僕は迷わずにコンセルトへボウ盤を取ります。
ガリー・ベルティーニ指揮ウイーン響(1985年録音/WEITBLICK盤) これはEMIへの録音盤ではなく、ウイーンでのライブ演奏です。ベルティーニはケルン放送を振るときよりもずっとオケの自発性に任せている印象で、おおらかさを感じます。最初はかなり手探り状態で危なっかしいのですが、少しづつ調子が上がって行くのがいかにもライブです。2、3楽章もオーケストラにミスも多く、荒い感じがしますが、終楽章では神秘的な雰囲気を漂わせていて感動的です。やはり良い演奏だと思います。ムジークフェラインの響きを美しく捉えた録音も良いです。
クラウディオ・アバド指揮ウイーン・フィル(1987年録音/グラモフォン盤) ウイーンでのライブ録音です。弦も管も非常に響きの美しさを感じます。しかもライブとは思えないほどにアンサンブルが優秀で、安心して聴いていられます。3楽章のドライブ感も実に見事です。ただし問題は、この曲の「怖さ」が余り感じられないことです。悲劇性、汚さから離れて、ひたすら美しさに徹した演奏には幾らか疑問を感じます。アバド/ウイーンPOの3番、4番は文句無しの名演奏ですが、この曲の場合は、そこまでの感銘は受けません。ただ、聴き疲れしませんし、何度でも繰り返して聴ける名盤だと思います。深刻なマーラーは苦手だと言われる方には是非のお薦めです。
ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1991年録音/EMI盤) EMIへの全集録音ですが、「大地の歌」と同様に日本でのライブ収録です。さすがに手兵のケルン放送だけあって、スタジオ録音と間違えるほどに完成度が高いです。録音も広がりが有り優れています。ユダヤ的な粘着性は余り感じさせない耽美的な演奏ですが、この人の職人的な面が最上に発揮されています。但し、マーラーの死への恐れの心情表現は必ずしも充分に感じられず、終楽章も余り心に深く響きません。むしろ完成度は低くとも終楽章はウイーン響盤の方が感動的でした。
ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル(1995年録音/CANYON盤) この演奏には激しさはおよそ感じませんし、全体のテンポも極めて中庸です。けれども、全ての音符に意味深さが込められているので、聴いているとマーラーの音楽が自然にどんどん心の奥底まで染み入って来ます。これは凄いことです。ノイマン晩年のマーラー再録音はどれもが素晴らしいのですが、この9番は、3番、6番と並んで特に優れた演奏だと思います。チェコ・フィルの音は非常に美しいですし、CANYONの録音はもちろん優秀です。
小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ(2001年録音/SONY盤) 自分は同じ日本人として小澤さんを尊敬しているのですが、サイトウ・キネン・オケについては少々懐疑的なのです。スーパー臨時編成オケで、松本フェスティヴァルでの中心的役割を果たすのは良いとしても、次々と発売されたライブCDにはどうも商業主義を感じずにはいられませんでした。この演奏は東京文化会館でのライブ録音で、もちろん水準を越える出来栄えですが、常設オケのような熟成された音が感じられません。この直後にボストン響を指揮したフェアウェル・コンサートと比べると大きな差が有るように感じます。出来ればボストン・ライブをCDリリースして欲しいところです。
実は、この曲は普通に演奏してくれれば、どの演奏も感動的です。それほど音楽が素晴らしいからです。この曲を演奏して、もしも人を感動させられなければ、その演奏家はマーラーを演奏しないほうが良いのかもしれません。僕の好みでベスト盤を上げてみますと、迷うことなくバーンスタイン/コンセルトへボウ盤です。それに続いてバーンスタイン/ベルリン・フィル盤です。この2つはたとえどちらか片方のみだけでも充分過ぎるほど満足できますが、やはり両方としたいです。バーンスタインが余りに素晴らしいので、その他は随分引き離されますが、バルビローリ/ベルリン・フィル盤は個人的に大好きです。それ以外はかなり団子状態ですが、マゼール/ウイーン・フィル盤、ベルティーニ/ウイーン響盤、ノイマン/チェコ・フィル盤には捨て難い良さが有ります。そして番外として外せないのは歴史的演奏のワルター/ウイーン・フィル盤です。
<追記>アバド/ウイーン・フィル盤、小澤/サイトウ・キネン盤を後から加筆しました。アバド盤はとても気に入っています。
<後日記事>
マーラー 交響曲第9番 バーンスタイン/イスラエル・フィル盤 | 2017-03-25T23:40:21 | 0.025345 | <urn:uuid:0c243359-e95e-40f7-8e0c-b0b25e375236> |
- 口臭についての考察
- もしも家族から「たまに口臭があると」指摘を受けた時はどうすればいいか?
- 「生理的口臭」についての文化的考え方
- ドクターが気にならないといったことについてどう考えるか?
-
口臭を引き起こさない能力は子供の時から
-母親の心得-
- 口臭は遺伝するか?
- 口臭は5メートル離れていても届くのか?
- 口臭は本当に誰でも絶対に治るのか?
- 世にも不思議な口臭外来
- 口臭の客観的評価を得ることの重要性について
- 嗅覚特性の不思議
- 鼻をすするしぐさについて
-
口臭に関するいじめや社会背景について
-行動心理について-
- 人のしぐさについて
- 生理的口臭の許容距離について
口臭について
口臭は遺伝するか?
|口臭自体は、DNAに依存するものではないので遺伝しません(例外的に先天的代謝異常から来る魚臭症などは遺伝します。)が
アレルギーは口臭に密接に関係します。
また、口臭を引き起こしやすい後天的な生活習慣や育児習慣・口腔衛生週間・食生活習慣などは家族性に伝達されます。
口呼吸による呼気性口臭など、一般歯科的問題がない場合にも、色々な要因で口臭は引き起こされます。 | 2017-03-25T23:35:09 | 0.11101 | <urn:uuid:09c85fba-5f17-48bc-ad99-468a3707c2f5> |
ソウルナンバー「8」の人の前世は
「未来を読み解く占い師」です。
~Story
あなたの前世は未来を視ることが
できた占い師です。災害、戦争など、
多くのことを予言した偉大な占い師。
今、こうして目の前に広がっている
世界ですら、前世で予測していたかも
しれませんね。あまりの的中率の
高さに魔女裁判にかけられ、
あやうく処刑されるところでした。
しかし、あなたを頼っている人から守られ、
最期まで幸せな人生を全うしたのです。
~Keyword
鋭い直感力を持つあなた。
何かと物事が自分の思い通りになったり、
相手の考えが読めたりするのでは?
また、相手が何を考えているのかを
理解する洞察力の持ち主でもあります。
もう少し自分の感覚を信じてみて。
あなたの憶測は大体当たるように
なっているようです。そして、
なんとなくで構いませんので、
「いいな」と思うものを優先する
ようにしていきましょう。 | 2017-03-25T23:31:31 | 0.036973 | <urn:uuid:db4b1b51-25b9-4766-8d75-a29e112bf408> |
以前にも何度か記事にしましたが、節分は元々立春、立夏、立秋、立冬の前日の大節季をさす言葉なので年に4度(合計4日)有ってそれぞれ大切な日として様々な行事が行われていたものでした。
ただ、その中でも一年の厄を払い新しい歳に福ノ神を迎える儀式として最初に訪れる春の節分が特別な意味を持っていたので、江戸時代以降は「節分」と言えばほぼこの立春前日の節分を指す事が多くなったものです。
我が家の節分の事始は、まず「豆の枯茎に塩鰯を刺した物と柊の小枝を家の玄関へ挿す」と、言うのをやりますが、これは今でもやっている地域が多いかもしれません。
これは、江戸時代の節分にも行っていたようです。
さて、それから江戸時代の人々は何をやっていたか?「えっ!、今と違う」と、ちょっと驚きますよ。
実際は大店のお金持ちの家と一般庶民とでは少し違いますし、江戸時代も前期と後期では違っていますが、江戸町人の節分行事の主たるものを記載してみましょう。
- お金持ちの家では里芋、大根、牛蒡、焼豆腐、黒豆、高野豆腐、蓮根の煮物、田作りの重と数の子などの「おせち料理」を肴に酒を酌み交わすのが吉例とされ、
一般庶民もそれに近いご馳走を食べた
- そして「年越しそば」を食べる
- 豆まきは、一般家庭では“無し”
お節料理は現在お正月の料理を指す言葉になっていたりしますが、言葉自体が元々は「御節供料理」で節句、節分、春・秋分、夏至、冬至に神仏へ御供えした料理の総称ですから、節分に食べた料理もおせち料理になります | 2017-03-25T23:38:54 | 0.144617 | <urn:uuid:ecccfe9d-d6f3-439e-9078-1eb57676b4ae> |
機械翻訳
ローカリゼーション産業では、かねてから機械翻訳の進化が進み、いずれは多言語コンテンツを短時間かつ低価格で制作できるようになるといわれています。 機械翻訳は人間が介在することなく、アルゴリズムを使用してテキストを別の言語に翻訳します。 その後、ポストエディティングサービスを追加して、翻訳者による翻訳と同じレベルの翻訳を行います。
機械翻訳は単独では魔法の解決策になりませんが、翻訳メモリ、コンテンツ管理システム、および人間による翻訳と併用することでうまく活用させることができます。
Local Concept では、各お客様の特定アプリケーションに最も適したツールを組み込んだハイブリッドソリューションを開発するため、より短期間で高水準の翻訳者による翻訳を行うことができます。
翻訳メモリ (TM)
翻訳メモリ (TM) は以前の翻訳のデータベースです。 TM を新しいプロジェクトに使用する場合は、既存の翻訳が活用されます。 TM を使用することで、チームは翻訳が文脈に合っていることを確認しながら、新しい文章の翻訳に集中することができます。
Systran ソフトウェア
Local Concept はSystran ソフトウェアを使用した機械翻訳ソリューションを提供しています。 Systran ソフトウェアは機械翻訳の先駆的技術です。 30 年に及ぶ歴史を持つ Systran は、国際企業向けの機械翻訳ソフトウェアの代表的な企業で、電子商取引、コンテンツ管理、データベース、内部ネットワークのようなアプリケーションを提供しています。 | 2017-03-25T23:32:21 | 0.049438 | <urn:uuid:29e46a98-6f72-4190-bd0c-b9aea1b42037> |
先回は、井口昭英氏が発表された「坂東八平氏の祖 村岡五郎 平良文について」という論稿に則りながら、氏が推測された村岡五郎(=平良文)の居住地の変遷について、大筋は
1常州時代(青年期)
○下総国結城郡村岡(現茨城県下妻市)
2武州時代(青・壮年期)
○武蔵国秩父郡山田(現埼玉県秩父市)
↓
○武蔵国大里郡村岡(現埼玉県熊谷市)?
3相州時代(成年期)
○相模国大住郡田村(現神奈川県平塚市)
4総州時代(晩年期)
○下総国香取郡阿玉台(現千葉県香取市)
であったろう、という説(成年・壮年の捉え方が一般とは逆転していますが)を紹介したうえで、「良文に関する資料を博捜したうえで立論された井口氏に対して、筆者は反駁する力量を持ち合わせていません。しかし、次回は地名と苗字の関係から一、二再検討をしたいと思います」という文言で締め括りました。
大層な物言いで終わりましたが、筆者も当初の居住地が下総国結城郡の「村岡」(茨城県下妻市)であること、終焉の地が下総国香取郡阿玉台(千葉県香取市)であっただろう、ということについて異論はありません。
良文の兄、平国香が本拠を構えていたとされる常陸国真壁郡石田(現茨城県筑西市)と、良文当初の居住地下総国結城郡「村岡」との間は直線距離で十数キロですから、合点がいきます。また、終焉の地についても、神奈川県藤沢市
問題は良文が青年期から壮・成年期に居所としたという武蔵国秩父郡山田(現埼玉県秩父市)と相模国大住郡田村(現神奈川県平塚市)、および良文が開発したとする武蔵国大里郡村岡(現埼玉県熊谷市)です。
筆者が着目するのは、良文の子、忠頼(「経明」とするものもあります)です。「尊卑分脉」によれば、忠頼は「村岡次郎」を称したといいます。つまり、村岡五郎良文と村岡次郎忠頼父子は親子二代にわたって「村岡」に住したと考えるのが普通で、忠頼が成長した後に、良文は香取郡阿玉台に隠居したのではないか、と筆者は考えます。
ところで、「続左丞抄」に引く寛和3年(987)正月24日付の太政官苻には「陸奥介平忠頼、忠光等、移住武蔵国引率伴類」とあります。このことについて、ジャパンナレッジ「国史大辞典」の【平忠頼】の項は次のように記します。
平安時代中期の地方軍事貴族(中略)寛和元年ごろ、常陸国の平繁盛が金泥で書写した『大般若経』六百巻を延暦寺に奉納しようとしたところ、繁盛を「旧敵」とする忠頼は弟の忠光とともに武蔵国に移住し、これを妨害しようとした。繁盛はこれを朝廷に訴え、忠頼追捕の官符が下された。しかし、忠頼は中央の有力者と私的関係をもっていたらしく、この官符の撤回に成功している。……
「忠頼は弟の忠光とともに武蔵国に移住」とありますから、「村岡次郎忠頼」は武蔵国以外に住んでいたことになります。これが、忠頼の父良文が「武蔵国秩父郡山田」に居所を構えていたとする説のひとつの弱点だと思います。
また、忠頼は繁盛を「旧敵」としています。繁盛は、平将門の乱で兄貞盛や藤原秀郷らとともに、父平国香の仇である将門を討って戦功をあげていますから、忠頼の父良文は、将門に与していたのかもしれません。
永暦2年(1161)2月27日の下総権介平常胤解案(櫟木文書)などによれば、下総国相馬御厨(相馬郡)は平良文-経明(忠頼)-忠経(忠常)-経政(常将)-経長(常長)-経兼(常兼)-常重と相伝した所領といいます。先回、良文の下総国阿玉台への移住について、井口氏は「甥である平将門の遺領を継ぐかたちでの移住」だったと推定している、と記しましたが、平将門の威力は下総国相馬地方にも浸透していたとも考えられますから、あるいは良文が相馬御厨を得たのは、将門の乱と何らかの関連があるのかもしれません。
ところで、良文と「相模国鎌倉郡村岡郷」の関連については、肯定もできないが否定する決定的な要素もない、というのが筆者の考え方です。一方で「武蔵国大里郡村岡」については、かなり否定的な捕らえ方をしてきました。しかし、「今昔物語集」に載る源
源充と平良文は互いに武勇を競っていたが、郎党たちの悪口などがもとで、二人の間は段々に険悪になる。ついに、双方が軍勢を引き連れての決戦ということになったが、真の勇猛さを競うには一騎討ちの勝負で、ということになった。充と良文は技の限りを尽くして戦ったものの決着は付かなかった。しかし、お互いの技芸を認め合った二人は、後に厚い友誼を結んだといいます。
源宛は武蔵国「
源宛(充)が本拠とした武蔵国「箕田」。村岡は目と鼻の先。
もうひとつ、井口氏も指摘していますが、前掲の相馬御厨を相伝した良文‐(略)‐常重-常胤の流れを汲む千葉氏が「妙見」を厚く信仰していたことは広く知られています。また、平良文-忠頼‐将恒‐武基と続く
ここまで筆者の気になったことなどを記してきましたが、やはり、井口氏の論考に反駁するというのは、「大層な物言い」だったようです。
しかし、これまでの検討のなかで、地方国衙に勢力を扶植した平国香から貞盛と続く流れは、これを梃子に中央(朝廷)とつながろうとする志向性が強くうかがえるのに対し、国香の弟、平良文‐忠頼(経明)と続く流れは、同じく地方国衙に勢力を扶植しながらも、そこから、中央とは反対の在地に根差す方向性が読み取れたのではないでしょうか。
「将門記」に平良文についての記載がみえないことについて、井口氏は、良文が鎮守府将軍として任地に赴いていた可能性を指摘しています。しかし、国衙中心機構とは一定の距離を置く良文の姿勢が、あるいは「不記載」という結果をもたらしたのかもしれません。
国香‐貞盛の流れから平清盛が誕生しますが、一方で、良文‐忠頼の一統からは坂東八平氏とよばれるような在地の武士が叢生します。在地に深く根を張った彼らは、やがて、清盛政権打倒を掲げる源頼朝の許に参集し、鎌倉幕府創生の原動力となりました。こうしてみますと、平良文こそが、その後に活躍する「中世武士」の先駆けだったのかもしれません。
(この稿終わり) | 2017-03-25T23:31:59 | 0.074269 | <urn:uuid:e1329acc-c45d-4bea-ab68-5818a43809fa> |
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倫理は合理性の前にあるわけではない。むしろ、倫理にかなった生き方のことを「合理的」と呼ぶのである。ことの順序を間違えないようにしよう。
「倫理」の「倫」とは「相次序し、相対する関係のものをいう。類もその系統の語。全体が一の秩序をなす状態のもの」すなわち「共同体」のことである(白川静『字通』)。すなわち、「倫理」とは「共同体の規範」「人々がともに生きるための条理」のことである。(p.223)
短期的には合理的だが、長期的には合理的でないふるまいというものがある。あるいは少数の人間だけが行う限り合理的だが、一定数以上が同調すると合理的ではないふるまいというものがある。
例えば、「他人の生命財産を自由に簒奪してもよい」というルールは、力のあるものにとって短期的には合理的であるが、それが長期にわたって継続すると、最終的には「最強のひとり」にすべての富が集積して、彼以外の全員が死ぬか奴隷になるかして共同体は崩壊する。
子どもを育てることは女性の社会的活動にハンディを負わせる。だから「私は子どもを産まない」という女性は他の女性よりも高い賃金、高い地位を得る可能性が高い。しかし、女性全員が社会的アチーブメントを求めて子どもを産むのを止めると、「社会」がなくなるので、賃金も地位も空語となる。(p.224)
さて、この内田氏の議論を、「教養に対する無知」を事例とするとどうなるか。
無知であることは、「短期的には合理的だが、長期的には合理的でないふるまい」あるいは「少数の人間だけが行う限り合理的だが、一定数以上が同調すると合理的ではないふるまい」に当てはまるか否か、というのがこの記事の主題である。
答えは、すでに前の記事でも言ってある。
「無知であること」、すなわち「教養を身につけようとしないこと」「知ろうとしないこと」は、「少数の人間だけが行う限り合理的だが、一定数以上が同調すると合理的ではないふるまい」である。
なぜなら、すべての人々が何事も知ろうとしなければ、自分以外の他者とコミュニケーションを行い、理解しあうための共通の基盤たるものがなくなってしまうからだ。
これは、要するに、倫理が成立する背景にある「共同体」をいかに想定するか、という問題であり、「教養」の定義の問題である。
古典を「日本人としての教養」として主張する方々は、「日本」という国家を共同体の基盤として捉えていて、「日本人」が「日本人」として理解しあうために必要なコミュケーションの基盤として「古典」を、捉えているのだろう。
わたしは「共同体」を、もっとローカルでゆるやかなものとして捉えているので、まったく違うかたちで「教養」を捉えている。
端的に言ってしまえば、
自分とは異なる他者とともに共同体をつくり、そこで生きていくための知識や技法。
それこそ「教養」なるものであろうと、わたしは考えている。
「無知であること」が問題になるのは、この意味での「教養」すら、彼らが得られないときである。
それは、「『源氏物語』の作者が誰か」を知らない、とか、「現在の日本の総理大臣が誰か」を知らないとか、そういうこと自体の問題ではない。
むしろ、問題なのは、そういうことすら「知ろうとしないこと」、「知らないこと」が容認されてしまうことにあるのではないか、と思う。
多文化社会が実現すれば、わたしたちが知らないことは増える。
知るべきことも増える。
自分がもてる限りの知識と想像力を駆使して、他者を理解しなければならない状況も増える。
そのときに、「知ろうとしないこと」「知らないこと」が是認されたままでは、困る。
なぜなら、
そのときこそ、無知や無理解によって相手を傷つける可能性が出てくるからである。
こうして、ようやく前回の記事ではじめに出したテーゼ「無知は悪だ」につながってくる。
とはいえ、前回の記事で触れたように、
階層社会の実現で、「教養を身につけたくとも、身につけられない」人々が出現してきたことも間違いない事実なのだろうと思う。
だから、わたしたちは、現在、
「無知であること」「教養がないこと」に対しては寛容でいつつ、
「『無知であること』を容認すること」に対しては批判的でいる・・・という、二重の態度を示すことが必要なのではないかと思う。
簡単に言ってしまえば、
「(現在)知らない」ことに対しては「しかたないね」と言いつつ、「でも、知らなければダメだよ」と言い続ける。そんな態度が必要なのではないか。
「『ものを知らないこと』を『売り』にしてはいけない」というわたしの知人の発言は、おそらく、このように解釈できるのだろうと思う。
「ものを知らない」ことは、一定数以下の個体がそうである場合のみ、合理的なのである。 | 2017-03-25T23:33:23 | 0.106907 | <urn:uuid:b4b1fdea-0ad9-46dd-b217-d47c0cb5aab1> |
消化器内科専門医で「内視鏡検査」のプロ
コラム
公開日: 2016-04-09
果物の日常的な摂取で心血管疾患予防?
おはようございます。さとうクリニックの佐藤です。今朝は「果物の日常的な摂取で心血管疾患予防?」という報告です。
中国にはリンゴを1日1個食べる習慣はあまりないが、新鮮な果物を日常的に食べる人は、心疾患のリスクが大幅に下がる可能性があるとの研究論文が発表されました。同様の研究はこれまでにも、欧米の人々を対象に何度も行われてきたが、食生活や疾病の傾向が欧米とまったく異なる中国で、果物を食べることが心疾患にどう影響するかについて研究されることはほとんどなかった。
米医学誌に掲載された論文によると、英オックスフォード大学の研究者らは、中国全土の都市部と農村部の計10か所で、心血管疾患や高血圧などの既往歴のない35~74歳の50万人近くを対象に、7年間の追跡調査を行った。
その結果、リンゴやナシ、オレンジなどの新鮮な果物を毎日食べる人は、めったに食べない、あるいは食べたことがない人に比べて、心血管系疾患により死亡するリスクが40%、心臓発作や脳卒中など主要な冠動脈イベントを発症するリスクが34%低いことが分かった。果物には、血圧と血糖値の両方を下げるカリウムや食物繊維、抗酸化物質が含まれていることが知られている。
研究チームは、およそ2億3000万人が高血圧や脳卒中、心不全などの心血管疾患を患う中国では、果物を食べることが、欧米を対象に行われたこれまでの研究でみられたよりもさらに効果的であると発見した。ただ、研究チームは、果物に心疾患や脳卒中を予防する効果が本当にあるかについての結論には至っていない。
今回の調査対象者のうち、生の果物を毎日食べると答えた人はわずか18%だったが、新鮮な野菜を毎日食べると答えた人は全員に近い95%に上った。
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バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。 | 2017-03-25T23:29:29 | 0.016391 | <urn:uuid:8305dfcb-8064-484a-9a57-fa2376554562> |
2009年 06月 28日
昨年、村上春樹さんがバークレーにやってきたときに30ドルもするチケットが2千枚あっという間に売り切れ、そのほとんどを占めるアメリカ人が彼の言葉を熱心に聞いていた時、サンフランシスコのサイン会でサンフランシスカンが寒空の下長蛇の列を作っていた時、アマゾンの数百に上る書評を読んだとき、そしてアメリカ人の友人が彼の小説の素晴らしさを熱心に語る時、一人の日本人が文化も歴史も全く違うアメリカ人の心を深くふるわせている事実に衝撃を受けた。自分は確かに彼の小説が好きで、繰り返し繰り返し読んだけど、それはあくまで自分の個人的な嗜好だと思っていた。なのに、いつもはあんなに日本人との違いを感じるアメリカ人が、同じ作品を読んで共感していることに驚かないわけにはいかなかった。
アメリカ人は表現の天才だと思う。自分の考えを言葉にして人に伝えることに関しては、日本人は足元にも及ばない。それはもちろん彼らが先天的に表現に長じているわけではない。自分を表現することを幼少のころから要求され、答えてきたからだ。日本人が、集団の空気を読むことを幼少のころから要求され、答えてきたのと同じように。そして、彼らの語る村上春樹評は、熱心でカラフルで大胆だ。かなわないなと思う。
今日も、グーグルに勤める友人が村上春樹の小説と、特にノルウェイの森について、村上春樹のことを知らないアメリカ人やドイツ人、チリ人に向かってこんな風に熱弁をふるっていた。
村上の小説は、魔術的(magical)でレトリックに満ちている。超常現象も多用される。だから雰囲気としてはラテンアメリカの物語に似ているかもしれない(彼はエクアドル系)。そこに、日本のモダンなテイストが加わっていて、彼独特の世界が広がる。
僕は長時間のフライトの時には必ず村上の本を持っていく。読み始めたらノンストップで到着前に読み終えてしまう。そして次の作品が読みたくなる。この数年で自分が見つけた作家ではベストだ。こんな小説は誰も書けない。
僕のベストはノルウェイの森だ。ビートルズのあの曲だよ。ビートルズの曲が物語に直接関係するわけじゃない。でも読み終わった時にはっと気づくんだよ。この物語全体があの曲のレトリックになっているんだって。彼の小説は物語全体が大きなレトリックになってるんだ。本当にAmazingだよ。
熱心に聞き入っていた友人たちも、「それは読まないと」と口々に言う。ノルウェイの森がビートルズの曲の比喩?それがどこまで的を得た批評なのか、僕にはわからない。でも、自分の言葉で感じたことを表現する、しかも臆せず。すごい。
親友の聡君が、サンフランシスコで手に入れられない僕を案じて日本から1Q84を送ってくれた。感謝感謝である。久しぶりに日本語をじっくり読んで、思うこともあった。
州都サクラメントの州議会の議事堂。サクラメントの強烈な日差しを反射し、青空に映える建物だった。
2009年 02月 22日
様々な批判はあるでしょうが、個人的には彼の今回の行動に敬意を表したいと思います。個人として、世界に対して自分の意見を慎重に、しかし明確に述べることのできる日本人を誇りに思うし、そして何より、彼の作品でも繰り返されるテーマ―システムに対峙し苦闘する個人に対する共感と希望―に心を動かされました。それはおそらく、ガザにおける救いようのない現実がこのテーマの極限状態であるからかもしれません。
僕の感想はさておき、抜粋しか読まれていない方は、以下の全文をどうぞ。
【日本語全訳】村上春樹さん「エルサレム賞」授賞式講演全文
(47news(http://www.47news.jp/47topics/e/93879.php)より、以下に引用します。)
こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。
もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?
それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。
そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。
真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。
受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。
しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。
というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。
そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?
この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。
私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。
私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。
父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。
今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
これが、私がお話ししたいすべてです。
「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。(仮訳=47NEWS編集部)
【英語全文】村上春樹さん「エルサレム賞」授賞式講演
以下の英文は村上春樹さんが講演を終えたあと共同通信エルサレム支局の長谷川健司特派員(支局長)がエルサレム賞主催者から提供を受けたテキストが基になっています。しかし、実際の講演はこれに少し修正が加えられていました。当日、長谷川特派員が授賞式会場の取材で録音したレコーダーを聞きなおし、実際に村上さんが話した通りに再現したものです。(47NEWS編集部)
(日本語訳全文を読む 講演要旨を読む 授賞式の動画を見る)
▼日本各地の新聞社コラムと関連記事を読む
“Jerusalem Prize” Remarks
Good evening. I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.
Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and generals tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling lies. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?
My answer would be this: namely, that by telling skilful lies--which is to say, by making up fictions that appear to be true--the novelist can bring a truth out to a new place and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth-lies within us, within ourselves. This is an important qualification for making up good lies.
Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are only a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.
So let me tell you the truth. In Japan a fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came. The reason for this, of course, was the fierce fighting that was raging in Gaza. The U.N. reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded city of Gaza, many of them unarmed citizens--children and old people.
Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.
Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me-- and especially if they are warning me-- “Don’t go there,” “Don’t do that,” I tend to want to “go there” and “do that”. It’s in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.
And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.
Please do allow me to deliver a message, one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:
“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”
Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will do it. But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?
What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.
But this is not all. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: it is “The System.” The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others--coldly, efficiently, systematically.
I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on the System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I truly believe it is the novelist’s job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories--stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.
My father passed away last year at the age of ninety. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school in Kyoto, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the small Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the battlefield. He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.
My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.
I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, and we are all fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong--and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from our believing in the warmth we gain by joining souls together.
Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow the System to exploit us. We must not allow the System to take on a life of its own. The System did not make us: we made the System.
That is all I have to say to you.
I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I would like to express my gratitude to the readers in Israel. You are the biggest reason why I am here. And I hope we are sharing something, something very meaningful. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today. Thank you very much.
2008年 11月 05日
2008年 10月 13日
何百人いたか分からないくらい、入口を飛び出してビルを取り囲むようにファンが並んでいました。3時開始なのに、1時過ぎにいったらすでに列がずらり。当然、ほとんどアメリカ人。タイタニックが上映されてた時の有楽町マリオンがあんな感じだったなあ。通り過ぎる人も、これは何?って聞いてた。いやはやすごい光景だった。
What I talk about when I talk aboutにぼくともう一人の名前が並んだサインを書いてもらいながら、今度この人と結婚するんですっていったら、おめでとう!っていってもらえた。うれしい。
最後に握手してもらいました。半そでのTシャツ、ジーンズ、スニーカー(ちなみに、この時期のサンフランシスコは、ものすごく、寒い。)。思った以上の村上春樹さんでしたみんなに声をかけながら、すごいスピードでサインをされてました。あれは、腱鞘炎になるんじゃないだろうか。
うまく文章にできません。すみません。
宿題などいろいろあるので、また。
この、Book Inc.というオペラ座近くの本屋さんでサイン会でした。
この時点でまだ1時。開始時にはずーっと角を曲がったところまで行列が。新聞社が来て行列の写真を撮っていました。
お隣のオペラ座。
2008年 10月 12日
講演の後、友人とコーヒーを飲んで部屋に帰ってきたのだけど、まだ少し興奮してる。うまく書けるかどうかわからないけれど、明日になったら忘れていると思うので書いてみる。先日の予告どおり、とうとう村上春樹がバークレーにやってきた。
前にも書いたが、僕は彼のファンだ。「街と、その不確かな壁」以外、彼の著作は全て読んだ。彼の本ほど、何度も繰り返し読んだ本はない。思い入れのある作家もいない。親友の聡くんと、部活でくたくたになったあと、駒場の第二体育館や井の頭線の渋谷駅で作品についてあれこれ話したことが懐かしい。聡君、読んでるか。村上春樹を見てきたぞ。
とっても好きな作品もあれば、そこまででもない作品もあるけれど、僕にとっては特別な作家。蓮見先生になんといわれようとも。
そんなわけで、思い入れがありすぎて、あほらしいけど少しどきどきしながら、友人のKさんと一緒に会場に向かった。巨大な会場が既に満員になっていて、いまさらながら村上春樹のアメリカでの人気に驚く。来る前、アメリカ人のクラスメート何人かに村上春樹知ってる?と聞いたところ、みんな好きな作品を挙げながら(スプートニクの恋人、海辺のカフカが人気だった。へえ。)、「今度来るんだろ?信じられないよね」と言っていた。どんな国の空港に行っても、小さな本屋をのぞいても、彼の小説はだいたいおかれている(何で知っているかというと、毎回チェックしている。)。
会場のキャパシティは、500人以上あったと思う(注: Ayaさんからの情報提供で、2000人の収容人数と確認。ありがとうございました!)。30ドル弱(バークレーの学生はディスカウントあり)する入場券は結構前に売り切れていた。僕のまわりを数えてみたところ、観客の9割はアメリカ人だったと思う。8時を少し回ったところで、照明がおちた。
バークレーの日本研究センターのDuncan所長が、村上の紹介を始める。「普通の生活をおくる普通の人々が主人公になる物語を書き続けてきた」。ほんとにそうだ。素晴らしいイントロだ。なお、Berkeley-Japan Prizeというものを今回創設し、その第一回受賞者となったのだそうだ。
Please help me welcoming Haruki Murakami!の合図で村上春樹が壇上に登場、大きな拍手が会場を包む。しばらくして拍手が鳴りやんだあと、英語で村上が話し始める。おお、こういう声なんですか。
ユーモラスな語り口で、幾度となく会場が笑いに包まれる。話は春樹ファンにはおなじみ、彼が小説を書き始めたときの話。僕はこの話が昔から好きだ。神宮球場で、ヤクルトスワローズの試合を見ていたときに、小説を書こうと思い立つ。そしてアパートのキッチンで、毎日ジャズバーの仕事を終えた後、朝まで小説を書く毎日。
「僕は何かを書くべきだとは分かっていたけれど、何を書けばよいか分からなかった。」
そうして書き上げた作品を出版社に送り、受賞し、職業作家となった。
「自分の書きたい文章を書いた。足りないところもあると思うけれど、オリジナルな作品だった。とても面白いと言ってくれた人もいたし、もちろん批判する人もいた。人と違うことをすることは、日本ではとても難しいことだ」。
そして、次は日本語で自作の朗読。それに続いて東大の講師であるRolandさんが英語で音読。なんと、作品は「とんがり焼きの盛衰」!これは意表をつかれました。もちろん以前読んではいたんだけれど、どういう物語なんだろうなあと思っていた。なんでこの作品を選んだのかなと思ったら、前段のお話との完全なアナロジー。実はこういう意味があったとは。
その後、Ronaldさんとの対談。会場からも質問をとった。1995年の大震災とサリン事件、夢の話、オブセッション、ランニング、カラマーゾフ、総合小説、故河合隼雄先生、好きな音楽、そして井戸を掘る話、心の闇、物語。春樹ファンにはおなじみのお話が続く。
シリアスな話でもユーモアを交えて、笑いが絶えない。
あと、詳細は割愛するけど、来年は春樹ファンにとってうれしい年になりそうです。
やっぱりバークレーでも中古レコード屋に行かれたそうです。
「16年前にバークレーに来たときは、今よりずっとたくさん中古レコード屋があったよ。今は2つしかないんだ。「ラスプーチン」と「アメーバ」。しかしなんでこんな変な名前なんだろう。やっぱり、
バークレーってちょっとおかしいよ!」
という一言で館内が大きな笑いに包まれたあと、温かいスタンディングオベーション。村上春樹さんは舞台の袖に消えていきました。
帰り道、著作を販売していたので、「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を購入してしまいました。英語で読んでみよう。
敬体常体混合ですが、今日はこのへんで!
楽しかった!
2008年 09月 14日
UCバークレーに講演にいらっしゃるというのです!!
Strictly Speaking: Haruki Murkami
Claiming a global readership and internationally recognized as Japan's leading novelist, writer, and translator, Haruki Murakami is winner of the Yomiuri Prize for his critically acclaimed The Wind-Up Bird Chronicle. The author's numerous works, which have been translated into 36 languages, lead the reader along the interstices between the mundane and the sublime. Murakami's reading and lecture in Japanese and English will be followed by a conversation with Roland Kelts (Tokyo University lecturer and author of Japanamerica) and a question and answer period with the audience. Presented in association with the Center for Japanese Studies.
エッセイ集「やがて悲しき外国語」の中でも、
「バークレーからの帰り道」という項で、UCバークレーで
授業をされた話をされていましたが、なんと滞在中に
幸運にもこんな機会があるなんて!
昨日、日本人会でお会いしたAさんのFacebookで
"I can't wait for Haruki Murakami to come to Berkeley!"
という文を見て、一瞬でググり、確認、席を購入しました。
講演は1か月後ですがすでにかなり埋まっていて。危なかった。
AさんのFacebookを読まなければ気付かずに一生後悔
するところでした。Aさん、どうもありがとうございました!
まず英語版の本をそろえようかな。
やばいな、超うれしい。 | 2017-03-25T23:38:35 | 0.033961 | <urn:uuid:2f52f66d-3662-4098-b5a3-3103b8f9dbfa> |
どういう経緯で皆さんが入社されたこの大西科学が存在しているかというのは、このあと社史でも読んでいただくとして、この大西科学という社名の前半分は、この大西、創立者の姓からきているわけですが、あと半分、「科学」はどこからきているのでしょうか。
科学というのは、非常に広い意味の言葉であります。「化学」、これは「ばけ」の方の化学ですが、これを冠した会社は多数あります。化学反応を扱う会社、特に石油からプラスチックを作ったりしている会社がそうですが、うちの社名のような理科の科を使う「科学」を冠している会社はあまりありません。これは、あまりに意味が広いからだと思われます。科学というと、物理、化(ばけ)学、生物から、広くは医学、工学までを含んでしまいます。これはもう、人類が文明の開闢以来積み重ねてきたものすべてを指していると言っても過言ではないでしょう。
科学の本質とはなんでしょうか。私は常々、科学とは、宗教など、他の概念と対置して考えられるものではなく、人間の活動が、そうあらねばなかった一本の道であると考えています。科学とは、誰が使ってもいい道具であります。科学技術、これは科学をどう応用して、実際の生活に役に立てるかという技術だといえますが、これについては特許制度というものがあって、発見者に一定の権利が与えられることになっています。しかし、科学そのものにはそういった制限はありません。誰が考えたものであっても、誰もが使っていいものなのです。さらに本質的なことは、この知識が、他人に使われることによって試され、確からしさを増してゆくということにあります。科学は、この、他人によって使われ、磨かれることによって科学たりうるのです。
たとえば、あなたが何か法則を思いついたとしましょう。これは、それ自体では科学ではありません。その法則が、いままでに知られているいろいろな現象をうまく説明できるようであれば、それは自然界の法則であると、一応採用されることになります。もちろん、他の、同じくらいうまくいって、よりエレガントな法則があればそっちのほうが使われることになるでしょうが、問題は、ここで終わりではないということです。あなたが思いついた法則は、他の研究者たちによって、常に試され、篩(ふる)いにかけられ、検証されてゆくことになるのです。たとえ、いろいろな研究者が引用し、ついに教科書にのるようになっても変わりません。この実験でAの結果が出たらこの法則は正しい。Bの結果がでたら間違っている、という、これを検証実験といいますが、これはいつまでも続けられるのです。
重要なことは、こうして試された知識は、その試されたことによってどんどん確かなものとなってゆきますが、決してこれで終わりということがないということです。本質的に、絶対に正しい法則などというものはないのです。理系の大学を出ておられる方には有名な話ですが、ニュートンの運動の法則、距離の二乗に反比例して引力の強さが決まるとか、加速度は力を質量で割ったものになるとか、そういう一連の法則ですが、これは非常によく太陽系の惑星の運動を記述できます。多くの研究者がこの法則を使って惑星や彗星の軌道を予言して、正しいことを確かめてきました。その正しさが揺らいだのは水星、これはほうきぼしではなくて太陽系のいちばん内側にある惑星のほうですが、その運動がニュートンの法則で予言されるものとわずかにずれているということです。これはアインシュタインの相対性理論によってすっきりと説明されました。アインシュタインの相対性理論は、かつて、いろんな状況でその有効性を証明されてきた、絶対に正しいと思われたニュートンの運動の法則が、重力が非常に強いとか、速度が非常に光の速さに近いとかの状況下では成り立たない、と主張するものでした。その後、さまざまな検証実験がなされ、アインシュタインの法則を確認する結果が出されています。たとえばこの大西科学にある1ギガ電子ボルトの電子シンクロトロンですが、ここでは運転一秒ごとに電子が光の速さを越えられないという実験が行われているといってもいいでしょう。
このように、相対性理論は非常によく成り立っているように見えます。もちろん、いまもアインシュタインの法則を越える法則、あるいは相対性理論に反する実験結果をもとめての実験は行われ続けています。ちょうど、ニュートンの運動の法則が、光の速さに近い領域で成り立たなくなったように、いろいろな極限状況下では別の法則がなりたっているのではないかと考えられているからです。いまのところ相対性理論を他の理論に代えるような実験結果はもたらされてはいないのですが、終わりがない、というのはそういうことなのです。
科学とは、こうした議論の進め方、法則を打ち立てて、みんなでテストを行い、さらに自然界をよく説明できる理論を作り上げるという手順を指します。仮に、将来、独裁的な政権が誕生するとか、文明が崩壊するとかで、新しい研究が行われなくなったとしましょう。いままで生み出された法則は受け継がれ、装置は動き続けますから、表面上われわれは今までとおなじ生活を続けていけるでしょう。しかし、そこで使われているものは、もはや科学ではないのです。せいぜい科学技術にすぎません。みなさんは科学は、宗教の教義のように一字一句間違いなく後世に伝えられてゆくものだと思われていたかもしれませんが、実際のところ科学技術という側面からすればそれでもいいのですが、いままでの私の話を聞いていた人はおわかりのように、そうではありません。
科学とは、むしろ先人の作った法則をなんとか破ってやろう、その上になにかしら自然界をよりよく理解できる法則を付け加えてやろう、という進歩なくしては考えられないものなのです。私は、こうした認識の上に初代観月が、この研究所に「科学」の名を冠したのだと考えております。皆さんも、この私たちがよってたつところの「科学」について、ぜひ一度考えてみてください。
さて大西科学本所は、兵庫県の山あいの町である、加東郡川北町に位置しているわけですが「どんな山奥かと思っていたら意外と大阪に近い」と、始めていらした方にたいていそう言われます。大阪万博、これは花博ではないその前の万博のことですが、実はそのころまでは本当に山奥でありました。このような評判はやっと南側の東条町に中国縦貫自動車道が開通してからのことです。この自動車道の開通によって大阪まで自動車なら一時間の距離となりました。ずいぶん便利になったものですが、この数年、この革命的な変化よりもさらに大きな革新がありました。
それは、インターネットの普及です。もともと研究者の間では各研究所の構内ネットや、大型計算機を結ぶ通信網だったこのネットワークは、この数年で急激な普及をみせ、いまや日本中どこにいてもいったんネットと接続すれば世界中のネットで結ばれた地点すべてと同じ価値の環境が得られるようになりました。特に、これからの社会において、まずソフト面においてこのような国境のない情報空間が建設されたことは、かならずや重要な社会変革の契機となるものと考えられます。特に、さきほどの話にもありましたように、科学の進歩には多数の参加と、フィードバックがなによりも大切となりますが、情報において中央と同じ環境が得られるようになったことは、交通で言えば新たなハイウェイが建設されたことに等しい、非常に重要なことといえるでしょう。
え、なに、時間がないの。あ、そう。えー、それでは、みなさんにおかれましては、この新たな潮流を十分に活用し、第一線の研究者として、活躍していただきたいと思います。 | 2017-03-25T23:41:46 | 0.080529 | <urn:uuid:e395e3f7-5337-494f-bd2b-fa53869dcc2f> |
『人間は社会的な認知を求めます。また、自分の問題としての事柄もあり、自分で納得したがっています。外へと向う欲求と、内へと向かう欲求です。多分、ここが基本ですよ。それで、とても簡単な事に気付いたのです。人は、社会的認知を求めて、それを得たとしても、自分として納得できないままだと満足出来ません。また、逆に、自分として自分に納得できていても、「このまま社会に還元しなくていいのだろうか?」という疑問が出てきます。「このままでは充実した人生は送れない」と思うようになります。そうですね。人間は両面が必要ですね。私に関して言えば、その両面に対応していらっしゃるのが、一二三神示にも示されていた(後述)Sさんと明菜さんなのです。つまり、Sさんは私の社会的認知の極に対応する人だと思いました。そして、私が自分として満足できる相手と言うのが明菜さんなのだと思いました。更に言いますと、私は明菜さんと結婚し、社会的な役目として、Sさんに付き従い、奉仕する者です。』
Sさんと私がこんなにも真剣で深い愛ある関係にいられるのは、やはり、神聖ローマ帝国の時、真剣で深い愛情で支え合う関係にあったからだと思います。明菜さんとの関係は、きっと、何か1つの国の責任を負った者同志としていわば、人々の為に結婚と言う形をとったという関係の中にあったのではないだろうか、と思う。私からは、お二人の、そういう面が見えています。
目次に戻る.pl?jlove | 2017-03-25T23:35:45 | 0.028189 | <urn:uuid:27516846-272f-48d3-bc9a-2e5e89654268> |
上記の必須項目の他、任意項目も入力いただくと、検索結果に表示されやすくなります。
くわしくは、こちらのご利用ガイドや関連ページもご参照ください。
出品画面はこちら
正式なアルファベット表記は「BUYMA」、読み方は「バイマ」です。「Baima」「Buima」と間違えられることもありますが「BUYMA(バイマ)」のサイト名はBuying Market(買い付け市場)の略です。 | 2017-03-25T23:41:21 | 0.843439 | <urn:uuid:fce53d96-f855-4c5c-bdac-28fef2a4f7e5> |
Apple幹部のPhil Schiller氏は、iPhone 6 Plusの本体が折れ曲がりやすいと話題になっている件についてコメントしています。
同氏は「現実世界の使用でiPhone 6が曲がることは極めて稀だ」としたうえで「もしiPhone 6が折れ曲がってしまった場合、アップルケアやジーニアスバーへ行って、製品の状況を診てもらって欲しい。状況によっては補償されるだろう」と述べたということです。
Appleによれば、iPhone 6 Plusの曲がってしまった苦情は現時点で9件のみ。それほど多くはないとしています。
情報元:THE VERGE | 2017-03-25T23:27:07 | 0.019733 | <urn:uuid:60b146ca-cd28-49bc-a90f-7fe97722efcd> |
2013年モーツァルト週間の最後とBSフジの番組など
珍しく晴れて、山も湖も見えました! お客様以上に喜んでいた私(笑)。
モーツァルト週間はlaraさんの会社(日本のオーケストラ業界では、団体の事を会社と呼びます・笑)の本番数時間後には、同じ会場、モーツァルテウム大ホールでザルツブルク・モーツァルト子供オーケストラ。
指揮はウイーンフィル・セカンドヴァイオリン首席のコンツ氏とルーブル音楽隊の指揮者としても有名なマルク・ミンコフスキー氏。
7歳から12歳までの、ザルツブルク州・オーバーオーストリア州、隣のドイツのバイエルン州の子供が半年かけて練習したもの。
オフィシャルなザルツブルク・モーツァルト週間プログラムなので、J.C. Bachからモーツァルト。
さらにはコンポーザーインレジデンツJohannes Maria Staudによる「河豚」という委嘱現代作品新作初演もあり、かなり凝ったもの。
Salzburger Nachrichtenより転載。
うちの子供もとても楽しんで演奏したようで良かったです。
翌日は、同じプログラムで地元の小学生向けのスクールコンサートもあり、クラスのお友達たちが来てくれて嬉しかった様子。
その頃知らない間に、ザルツブルクに米倉涼子さんが「モーツァルトの妻コンスタンツェ」とテーマにした、BSフジの番組でザルツブルクに滞在していた様子。
私が翻訳している本の著者 元モーツァルテウム音大学長 Prof. Dr. Günther Bauer先生が、「1月下旬にコンスタンツェの事で、日本のテレビの取材を受けるが、何かわかるか?」と仰っていたのは、この事だったのです!
ただ、この記事には
「コンスタンツェが悪女だったのは、コンスタンツェがモーツァルトの悪口を言っていたからです」と米倉さんが言ったと書いてあり、これは全くの誤解です(通訳のミス?)。「米倉さんは悪女役で視聴率の女王」とも書いてありました。
コンスタンツェがモーツァルトの悪口を言ったという記録はありません。
Prof. はこの記事内容を非常に怒っていて、本の打ち合わせでお会いしたとき、丁度この記事を書いた記者と、この件についての電話中でした。「コンスタンツェが悪女だという番組にする場合は、インタビューを受けないと言ってあったのに!」とのこと。
BSフジでは4月に放映予定だそうですので、ご覧になる方は、「コンスタンツェは悪女」という定義があっても、本当は違うということで・・・。
モーツァルトが晩年貧しかったのは、120%間違いありませんが、映画のように貧しいせいで暗かったというのは、今から100年前のモーツァルト研究の誤解ですので、そういうことはありません!!!
モーツァルトは今までのイメージと違って、当時の物価等の数字や、モーツァルトの手紙、当時の演奏会ギャラ、贈り物、税金等を元にした最新の研究から、もっと豪快な親分肌の人だとわかってきています。コンスタンツェ「だけ」がお金を使い込んだということはありません!
理由は今翻訳している本に多数書かれてますので、まだタイトルは決まってませんが、2014年に音楽之友社から出版されるときにお読みくださいね(宣伝・笑)。
先週はlaraさんやうちの子供も演奏しましたが、今週は私。
事前に聞いてなかったものの、ORFの録音が入っているそうで・・・・・・・・・・・・・・・・。
指揮はN響の茂木大輔氏の本に良く登場する、オーボエの名教師ギュンター・パッシン教授。相変わらず超お元気で、音楽的です。
突然昨日と違うソプラノのソリストが登場??????
本来出演の方は急病で州立病院に行ったので、本番もまず無理そうとの事。2回も合わせたのに、ソリストによってテンポがまったく違うので、もう一度最初からやり直しに・・・。
いつものソリストは司会も楽しい方だったので残念、本番どうなることか?
2人で1つのブログを書いているというケース自体、あまりありませんが、同じブログを書いている日本人2人が、外国の同じホールで2週間にわたって演奏するというのも、実はかなり珍しいケースでは?(笑)
日々翻訳の締切と、前章の手直しに追われつつ、寒い中たまには外に出ています。
sepp
私も会社勤めではありませんが、飲み屋などでは職場を会社と名乗ります。
子供達がミンコフスキの指揮で演奏できるのは、凄い体験ですね。子供達が羨ましいです。
BSフジの番組、チェックしてみます。
来年の本も買わせていただきます(笑)
そうなんですよ、皆さん「わが社は」とか言うのです(笑)。首席奏者を「社長」と呼んでいる友人もいますが、これはそれぞれのオケ・楽器セクションで全く違います。
私も社員ではないので、何とも言いませんが、ツアーは委託を受けているものなので・・・。
ミンコフスキーの指揮で演奏したり、コンツ君の指揮で演奏したり、なかなか良い体験ですよね。
私も直純先生他、皆様に15歳から教えていただき、とても役立っています。
BSフジの番組、何か特集なのでしょうか? 歴史を扱うものがあるのでしょうか?
本はなんとか翻訳してますので、しばしお待ちを。忘れたころ「音楽の友」に掲載されているかもしれません。
「音楽の友2月号」には、バウアー先生と海老澤先生の対談が掲載されています、写ってはいませんが、この写真の反対側には私もいますので(笑)。
sepp
懐かしい雪景色、今日はとても寒い日でしたが、本番も非常に上手く行き安心しました。
子供オーケストラは、夏の音楽祭にもヴェネズエラの子供オーケストラと共演予定で。8歳にしてザルツブルク音楽祭の一環というのは、贅沢ですよね。今までこういった企画が全くなかったのに、ここの所急に活発なザルツ村です。
BSフジ、是非ご覧ください。1時間程度の番組なのでしょうか? 私も何かの機会に見ることができればと思っています。
本の方は、今まで全くなかったモーツァルトの日常生活研究なので、とても面白いですよ~、お楽しみに!
sepp
モーツァルテウム大ホールの中の様子を知りました。横にも奥行きにもフラットで整列された座席に、ゾフィエンザールや、旧ベルリン・フィルハーモニーのホールを思い浮かべてしまいました。
・・このような楽器を吹奏するのですか?
音の出る前に、酸欠になりそう・・・
そうなんですよね、背が高い方が前に居ると見にくい構造、懐かしのソフィエンザール、ベルリンのコンツェルトハウスを大分小さくした感じです。
私たちは高い場所にいるので、弦を越えて音が遠くに飛び過ぎるような・・・。でも渋谷にある打楽器が良く聞こえるホールとも違います。
私の楽器、初めてご覧でしょうか? 真鍮間曲金 抜差し自在低音喇叭と戦時中は呼んでいたそうです(本当です)。
肺活量は要りませんが、効率よく吹くことが必要です。確かに28年前に始めたときは、酸欠気味だったような。
sepp
こんばんは★久しぶりにブログ拝見いたしました~!冬のザルツカンマーグート、めっちゃ寒そうですね(++)そして、初めてseppさんの演奏家活動ぶりを拝見いたしました(@@)素敵です!どちらのオケでしょうか?また、翻訳本のお仕事はは順調でしょうか?*^^*
私は今、2つ目のオケを探しておりますが、1つ興味深いオケを発見しまして。。。”ウィーンフィルfanの集まり”のマニアックなオケで、問い合わせてみましたら「管楽器は全員ウィンナー管なので、買う気があるなら見学に来てください」と言われました…(++)ネットで調べてみましたが、ウィーン式のクラリネットは日本ではあまり販売されておらず(ドイツ管はちらほらあるのですが・・)石森楽器でエルンストオッテンザマーさんの選定品の楽器を発見!びっくりするくらい高額でした・・><A管とB♭管2本で総額200万超えます。。。貧><
http://www.ishimori-co.com/index.php/product/display_page/1
もし、オーストリアで有名な楽器店のHP等ご存じでしたら教えていただきたいです。ゆっくり時間をかけて、悩んでみようと思います(@@)))
冬のザルツカンマーグートは寒いですよ~。演奏写真は、過去記事に多数あるので、ブログ左側の音楽をクリックしてみてください。翻訳本の方ですが、現在訳している部分には、料理名、食材名、飲み物等、18世紀の専門家ではないとわからないような内容が多く、著者との打ち合わせが多数です。
ウイーンフィルファンの集まりオケがあるというのは、色々な方面から聞いたことがあります。
日本でもウイーン式のクラリネットが売っているとは!
基本的に私たちは、「楽器屋さん」では楽器を買いません。オーストリアでは作っているマイスターのところに直接連絡して、時間等を約束して、現場で試奏、要望があれば新しいのを作ってもらっても良いですしね。
トロンボーンですと、ザルツブルク州内にあるレヒナー、日本ではなぜか「シャゴー」という名前になっているシャーゲルがあるので、大体どちらかに行きますね~。クラリネットもメーカーがどこかにあって、そこに行くと良く聞きますので、インターネット等でお調べになってみては?
楽器店においてある管楽器は、外国製のものばかりです。なので、私も楽器店に行くのは消耗品を買う時だけですよ~。
sepp
http://www.bsfuji.tv/top/pub/akujodensetsu.html
ありがとうございます!!!! さっそく出版社の社長以下、皆様にお伝えすることができました。
私は見ることが出来ないので、ぜひ「悪女ではなかった」と正しく言うのかどうか、皆様でご確認を(笑)。
sepp | 2017-03-25T23:31:58 | 0.073653 | <urn:uuid:517bb690-a086-468e-a068-fa567f8706c9> |
2001年6月3日(日)「しんぶん赤旗」
日本共産党の志位和夫委員長を迎えた演説会が二日夜、京都府城陽市の文化パルク城陽で開かれ第二会場やロビーまでいっぱいになる二千五百人の聴衆が京都南部の各地から参加、同地域の演説会としては史上最高となりました。
山城町から参加した男性(37)は、小五と六歳の二児の親。つめこみ教育ではなくわかる教育、競争ではなく協力を教える教育との志位さんの提起に、「その通りだと思いました。小泉内閣が全府一区の大学区の高校入試を考えているとはとんでもないことです」といいます。
「いままで政党には関心がなかったけど共産党のことをもっとよく知りたいと思い、志位さんの演説会に参加しました」と語った男性(70)=精華町在住=は、「志位さんの話は真実味あふれる話でした。ハンセン病患者のたたかいを支えたくだりに、人間愛あふれる共産党の姿を知りました。参院選でも必ず勝ってほしい」と話しました。
「志位さんの話を生で聞くのは初めて」という宇治市の男性(48)は「今の小泉人気がかなりあるもんで、心配していたが、ピンチじゃなくてチャンスというのが本当にその通りと思った」と話していました。
生協関係者の女性(62)=城陽市在住=は「教育の目的は人格の形成にあると志位さんがいうのはその通り。人をけ落とす競争では必要な学力は身につかないもの。その考えで学校をつくってほしい」と期待を込めます。
演説会では、京都中小企業政経研究会の藤沢敏明さん、参院京都選挙区候補の河上よう子さん、同比例代表候補の井上さとしさんもあいさつしました。 | 2017-03-25T23:40:34 | 0.016642 | <urn:uuid:6ea9a982-479a-46e3-8965-a9b7f30edce5> |
ICTという略語をご存知でしょうか。Information and Communication Technologyの略で,コンピュータや情報通信ネットワーク等からなる,情報コミュニケーション技術のことであると解されます。
教員採用試験の参考書を書いていて思うのですが,最近,教育政策文書の中に,この3字を目にすることが多くなりました。それもそのはず。社会の情報化が進む中,教育も情報化することが求められているのですから。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/main18_a2.htm
高等学校において,情報科が必修となったのは1999年の学習指導要領改訂時ですが,現在,ICTを活用する能力を生徒に獲得させることが求められているといえましょう。
しかるに,実際のところ,生徒がそういう能力を身につけるのは,学校の授業を通してではなく,日頃の生活において各種のICTに親しむことによってではないでしょうか。日本の若者は,ケータイ(スマホ)を肌身離さず身につけ,ヒマさえあればそれと睨めっこしています。動画を観ている者,mixi等のコミュニティサイトにアクセスしている者,その他いろいろですが,こういう日常に浸かっている彼らのICT活用能力は相当なものではないかしらん。
ところで,世界は広し。他国の若者はどうか,ということが気になります。今回は,日本の高校生のICT利用度を,国際的な見地から相対化してみようと思います。結果を先取りすると,日本の生徒の特異性が明らかになることでしょう。
用いるのは,PISA2009の生徒質問紙調査のデータです。同調査では,対象の15歳の生徒(日本は高校1年生)に対し,「あなたは,次のことをするために自宅でコンピュータをどのくらい利用していますか」と尋ねています。太字の箇所がポイントです。
上記の9項目への反応を合成して,各国の生徒のICT利用度を計測する尺度をつくってみましょう。やり方は簡単です。選択された数値を合算するだけです。最高は36点(4点×9=36),最低は9点となります。赤丸は私の回答結果ですが,私の場合,これらを合計して23点となります。
私は,上記調査のローデータを使って,44か国,29万2,730人のスコアを計算しました。全対象国(74か国)よりもかなり少なくなっていますが,情報インフラがある程度整備された国の生徒にのみ向けられた設問であるためです。ただし,米英仏のような先進国も,この設問への回答は得ていないようです。
上表は,上記設問に回答した生徒のスコア分布です。ICT利用スコアと呼びましょう。この分布を参考にして,29万2,730人の生徒を3群に分かちました。27点以上は利用度が高い「高群」,20点以下はそれが低い「低群」としました。両者の中間は,「中間群」としました。私は23点ですから,中間群ということになりますね。
このように区切ると,3群の量のバランスがとれます。では,ICTの利用度をもとに検出した3群の分布が,国によってどう違うかをみていきましょう。わが国では,利用度が高いと判断される「高群」は,どれくらいいるのかしらん。
上図は,わが国を含む5か国の分布図です。先に記したように,米英仏は,データがありません。図をみると,ほほう。日本の生徒は,何と86.6%が,利用度が低い「低群」に括られます。高群はたったの3.7%しかいません。他の4国とは,明らかに違っています。
比較の対象を,44か国全体に広げてみましょう。最近,本ブログをご覧頂いている方は,表現方法についてはお分かりかと思います。中間を抜いた,両端の2群の比率に注目します。横軸に低群,縦軸に高群の比率をとった座標上に,それぞれの国を位置づけてみます。
わが国の「外れっぷり」のすごいこと。日本の高校生のICT利用度は,ダントツで低くなっています。ホンマかいな?と,何度もデータを見直しましたが,こういう結果です。
「自宅でコンピュータ」とあるので,ケータイやスマホによるメールやサイト閲覧は除かれると解されます。こういう手持ちの機器を除いたら,わが国の高校生のICT利用度はガクンと落ちるのですねえ。世界の最下位まで・・・。
私は冒頭にて楽観的なことを書きましたが,この手の小型機器では,画像を編集したり,デジタル資料をつくったりというような,実社会で求められるICTスキルは身につかないともいえます。日常生活において,小型機器だけでなく,パソコンにも触れるよう仕向ける必要がありそうです。*ケータイを持たない私の場合,常に逆のことを言われますが。
さて,こういう状況ですので,わが国の高校生のICT活用能力がどういうものかが懸念されます。同じくPISA2009の生徒質問紙調査では,画像を編集する,データベースをつくる等の能力についても問うています。回を改めて,この種のスキルの国際比較を行おうと思います。 | 2017-03-25T23:34:59 | 0.052929 | <urn:uuid:39418a0e-5d2f-499d-9bbc-4dbc1ed7060f> |
富士通とKDDIは2006年3月7日,無線LAN機能を搭載する携帯電話機を使った企業向けのIP電話ソリューション事業を共同展開することで合意したと発表した。
具体的には,富士通が提供している無線LAN対応のIP電話用ゲートウエイ「CL5000」を使った企業向けシステムを7月から共同で販売する。導入した企業では,無線LAN対応の携帯電話機を使って社内で内線電話や外線電話を利用できるようになる。
今回のソリューションはKDDIの携帯電話機だけでなく,既に発売されているNTTドコモの無線LAN対応携帯電話機も端末として利用できるのが特徴だ。KDDIとNTTドコモの端末が混在する環境でも内線電話システムを構築できる。外線電話の場合は,IP電話用ゲートウエイに接続できるブロードバンド(高速大容量)回線の提供事業者などが手掛けるIP電話サービスを,無線LAN対応携帯電話機で利用する形になる。
(私見)
携帯が無線LANに対応した際の得策?? | 2017-03-25T23:27:21 | 0.12239 | <urn:uuid:9d81df86-1055-48f8-ad36-c48fc671b3a3> |
メイ どうもメイです。この漫画は皆が知ってるあの名作を迷子にしていく漫画です。言わば、迷子シリーズ、だいたいあってるシリーズです。こっちの漫画はマイペースに更新します。同時公開中の漫画もどうぞよろしくおねがいします。 | 2017-03-25T23:57:35 | 0.032143 | <urn:uuid:40104462-e44a-4ba5-84c0-01cb31629098> |
埼玉は所沢にあるお城。
公園となっているのでとても訪れやすいお城ではありますが、東川と柳瀬川の合流点に築城され急崖も持つ多郭式の本格的な平山城です。
古墳時代後期の7世紀頃の横穴式墓群が本丸付近で1976年に発見されています。つまり、1180(治承4)年に源頼朝が挙兵した時に土豪によって築城されたとの伝承を持つこの城の起源は古いと言えます。
本格的な城を築いたのは関東管領山内上杉家の家宰で武蔵国入間郡・多摩郡を所領としていた大石氏で15世紀後半のことだとされています。
大石氏は関東管領上杉家の四宿老(長尾氏・大石氏・小幡氏・白倉氏)と言われる家柄ですが、もともとは信濃国佐久郡大石郷を出身としています。
木曾家教の三男の信重が大石為重の養子となって関東管領・山内上杉憲顕(1306-1368)に仕えています。1351(観応2)年に新田義貞の子義宗が上野国で挙兵した際に足利方の山内上杉軍の先鋒として戦った戦功から、1356(延文元)年に入間・多摩両郡内に十三郷を与えられて武蔵国目代職となっています。
また、大石能重が武蔵・上野・伊豆各国守護上杉能憲(1333-1378)に仕えて武蔵守護代となっています。
上杉憲顕は山内上杉家の祖であり、上杉能憲は上杉憲顕の子に当たります。
1358(延文3)年に室町幕府初代将軍・足利尊氏が死去。これを契機に足利尊氏の子で初代鎌倉公方・足利基氏は、それまで鎌倉府を支えてきた畠山国清や武蔵平一揆(河越氏、高坂氏、江戸氏、高山氏、古屋谷氏、新田氏、村山党)と距離を置き始めます。畠山国清を追討した足利基氏が代わりに据えたのが、観応の擾乱で足利直義方に与して信濃に追放されていた上杉能憲で、上杉能憲は1363(貞治2)年以降、河越直重を相模国守護から解任、続いて、高坂氏をも伊豆国守護職から解任します。大石氏は上杉能憲が信濃にあった時に家臣として組み入れられたと考えられます。
1367(貞治6)年、初代鎌倉公方・足利基氏と第2代室町幕府将軍・足利義詮が死去。関東では第2代鎌倉公方として足利基氏の子の氏満が就任しますが幼少であったために関東管領上杉能憲が後見する形となります。
関東管領上杉能憲に勢力を削がれつつも鎌倉府の先兵として駆使され続けていた平一揆側は、1368(応安元)年、関東管領上杉能憲が上洛すると、河越直重を中心として河越館と江戸牛島で挙兵します。
しかし、この挙兵は山内上杉能憲とともに関東管領を務めた犬懸上杉朝房(1335-1391)の両管領が第2代鎌倉公方・足利氏満を擁して河越館を攻め勝利します。
この武蔵平一揆の乱の平定によって、河越氏が有していた権限は山内上杉氏の手に落ち、大石氏が守護代として台頭してくる契機になったと考えられます。
この頃の大石氏の本拠地は二宮城でしたが、1458(長禄2)年、大石信重の玄孫・大石顕重が高月城を築城し本拠地を移しています。
1546(天文15)年、河越夜戦で関東管領上杉憲政(1523-1579)、扇谷上杉朝定(1525-1546)、第4代古河公方足利晴氏(1508-1560)の連合軍が後北条氏第3代北条氏康(1515-1571)に敗れ、扇谷上杉朝定は討死し扇谷上杉家は事実上滅亡、関東管領上杉憲政も領国の上野国を維持出来なくなり越後に逃れます。
これによって、滝の城は北条氏照に引き継がれ、柳瀬川対岸に番所を設けて三田氏を置き、河越城、岩槻城、鉢形城へのつなぎの城としての役割を果たすようになります。1564(永禄7)年から1577(天正5)年に掛けての下野国侵攻、特に、1575(天正3)年に上杉氏と北条氏との間で従属と離反を繰り返していた小山秀綱(1529-1603)を討伐し、祗園城を支配下に置いたときの戦いの陣揃えの地となったと言われています。
前線基地を担っていた滝の城も、1590(天正18)年に豊臣秀吉方の浅野長政軍の攻撃を受けて落城しました。
posted by N.Tateno.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor. | 2017-03-25T23:29:02 | 0.021834 | <urn:uuid:e5661bdd-19ce-438e-bcbe-869f9a72d637> |
映画が生まれる場所
──第64回カンヌ映画祭報告
今年のカンヌ映画祭における、テレンス・マリックの最高賞パルム・ドール受賞という何の驚きも無い結末は、映画祭のコンペティションは如何に在るべきかを改めて問いかけた。確かに、圧倒的な映像美によって生命誕生から一組の父子の物語までを綴る壮大な交響詩『ツリー・オブ・ライフ』は、パルム・ドールに相応しい作品と言えるだろう。
『ツリー・オブ・ライフ』は既に去年の映画祭での出品が予想されていたものの、結局は完成が間に合わなかっただけに、今年は満を持しての登場であり、映画祭開幕前からパルム・ドール大本命と目されていた。今年の審査員長であったロバート・デニーロはマリックにパルムを与える為に選ばれたとさえ言われていたのだから、この結果はあまりに予定調和的で、ここまで筋書き通りであったことに驚かされた程である。
次点にあたるグランプリには、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン『Once Upon A Time In Anatolia』とジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ 『The Kid With A Bike』の二作品。ジェイランは、夜の荒野を警察と容疑者が死体を捜して回る場面だけに1時間半近くを費やし、そこでの人物達の感情の機微を、優れた演出力で浮かび上がらせていく。大きな出来事の欠如という点では、如何にも映画祭的な映画であり、作家映画の牙城であるカンヌでこそ評価されるべきフィルムであろう。一方、父親に捨てられた少年の絶望と、彼の引受人となった女性との交流を描いたダルデンヌ兄弟の新作は、その繊細さや展開の見事さに格の違いを感じさせた。ひたすら走り続ける少年や自転車の疾走感がフランソワ・トリュフォーを想起させるような、映画の根源的な快楽に満ちた佳作であった。ただ、彼らの作品としては比較的軽いタッチの小品であり、既に二度のパルム・ドールを受賞している彼らに今更二等賞のグランプリを与える必要があるとは思えなかった。
監督賞にはニコラス・ウィンディング・レフンの『Drive』、脚本賞にはヨセフ・シダーの 『Footnote』という、相当好みの分かれる作品が並んだ。昼間はスタント・マンとして、夜は運転手として犯罪に手を貸す寡黙な男が主人公の『Drive』は、題材がデニーロの出世作『タクシー・ドライバー』を思わせることもあり、受賞を予想する声は聞かれていたものの、散漫な物語構成に突如として挟み込まれる暴力描写には必然性は感じられず、受賞は意外な気がした。大学教授の父子の葛藤を描いた『Footnote』は、テーマに目新しさは無いが、大学のアカデミズムの世界を舞台にしたことによる新鮮味とリズムの良い展開が評価されたのであろう。
将来有望な若手監督に与えられることの多い審査員賞にマイウェンの『Polisse』が選ばれたのは妥当と言える。パリ警察の少年保護課を舞台に様々な人間模様を描き出し得たのには、俳優陣の好演に拠る部分が大きいし、こうした矢継ぎ早の会話ばかりが目に付く擬似ドキュメンタリー風のフランス映画には、もはや目新しさは感じられない。だが、社会性が強く、しかも日常的なテーマを、緩急を巧みに使い分けながら描いた力量は認めざるを得ない。
映画祭の話題をさらったのは俳優賞が与えられた二作品であった。まず女優賞はラース・フォン・トリアー の『Melancholia』で花嫁を演じたキルステン・ダンストが受賞。公式記者会見でトリアーが「ヒトラーに共感する」などと述べた為に今年の映画祭から追放されたことがスキャンダルとなったが、結果的には昨年のシャルロット・ゲンズブールに続き、連続してトリアー作品から女優賞が生まれたことになる。地球への小惑星の接近と、結婚式でメランコリーに陥る新婦を描いた作品自体は、プロローグの力強さには圧倒されるものの、全体的には冗長の感は否めない出来であった。一方、男優賞を受賞したのは、ミシェル・アザナヴィシウスの『The Artist』で、映画のトーキー化の波に付いて行けずに落ちぶれていく映画スターを演じたジャン・デュジャルダン。『The Artist』は白黒スタンダードの無声映画という異色作で、当初はコンペ外の特別上映であったものが直前にコンペ作に変更された。サイレント映画へのオマージュとしてはあまりにも稚拙で安易な部分ばかりが目に付くのだが、時折見受けられる映画的な巧さや、犬の好演(名演技を見せた犬に贈られるパルム・ドッグを受賞)にも助けられて、高いレベルのエンターテイメント作品に仕上がっている。だが、元々はテレビの人気者であったデュジャルダンの受賞はフランス人を喜ばせたものの、本命と言われたミシェル・ピコリ(『Habemus Papam』)やショーン・ペン(『This Must Be The Place』)の素晴らしさを凌ぐ程の演技を見せていたとは言い難い。
そもそも受賞結果に関しては、全ての人を納得させるようなものが存在する筈も無く、審査員間の妥協の産物に他ならないと考えれば、あれこれと文句を付けるのが無意味なことも承知している。そうは言っても多くの人が疑問符を付けるようなケースは在る訳で、例えばアキ・カウリスマキの『Le Havre』が今回無冠に終わったこともその一つと言えるだろう。不法滞在の少年を靴磨きの男が匿うという単純な物語なのだが、カウリスマキならではの繊細で優しさに満ちたスタイルによって、ジャン・ルノワール的な人間賛歌が描き出される。マリックもカウリスマキも、隅々まで映画作家の世界観で満たされているという点では共通しているが、マリックが映像で観客をひたすら圧倒するような意志に貫かれているのに対して、カウリスマキはシンプルな映画の力で観る者の共感や幸福感を導き出すことに成功している。カウリスマキは『過去のない男』(2002)で、既にグランプリを受賞しているだけに、中途半端な賞を与える必要は無いのかもしれないが、二度パルムを取っているダルデンヌ兄弟にグランプリを与えているだけに、カウリスマキが無冠に終わったのは釈然としない(ちなみに『Le Havre』は国際批評家連盟賞を受賞)。
また、映画作家の世界観の表出という意味では、19世紀末の娼婦館を舞台に、見る/見られるという関係性を密閉空間で徹底して審美的に描きあげたベルトラン・ボネロの『House Of Tolerance』が無冠に終わったことも個人的には納得し難かった。カンヌでの受賞は、その作品の海外セールスや他の映画祭での上映機会に大きく影響するだけに、ボネロのような将来有望な映画作家にこそ賞を与えるべきであろうし、そういう意味では『ブンミおじさん』にパルム・ドールを、『神々と男たち』にグランプリを与えた去年の審査員の選択は賞賛に値した。
その一方で、先述したトリアーや、ペドロ・アルモドバル(『The Skin I Live In』)の新作が、彼らのフィルモグラフィーを考えれば、決して出来が良いとは言えないフィルムに過ぎなかったこと、また日本勢の二本(河瀬直美 『朱花の月』と三池崇史 『一命』)が、賞に絡むような作品レベルに達していなかったことも、映画祭におけるコンペティションの在り方について考えさせられた。
結局のところ、カンヌ映画祭はトリアー(今回が9回目のカンヌのコンペで、『奇跡の海』で1996年にグランプリ、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で2000年にパルム・ドールを受賞)やアルモドバル(今回が4回目のカンヌ・コンペ)といった、「定期会員」と呼ばれる監督の新作であれば、無条件にコンペに入れてしまうのだろうか。また、カンヌの申し子と言える河瀬直美の作品であれば、外国人受けを狙ったような凡作であっても選んでしまうのか(例えば青山真治の『東京公園』のような作品こそが日本を代表するべきではないのか)。また、しばしばコンペティションの選から漏れた作品が集まると言われていた「ある視点」部門で、今年はガス・ヴァン・サントやブルーノ・デュモン、ホン・サンスといった著名監督の、しかも高いレベルの作品が並んでいることも、最近のセレクションにおける不可思議な事柄の一つであろう(ちなみに昨年の「ある視点」では、マノエル・デ・オリヴェイラとジャン=リュック・ゴダールの新作が上映された)。こうなると、コンペティションを嫌って、コンペ外の特別上映を自ら選択するウディ・アレン(今年は『Midnight In Paris』が映画祭のオープニング作品として上映)のような態度が、既に高い評価を得ている映画作家には相応しいのかもしれない。
こういった疑問が数多く浮かんでくることからも、カンヌが如何に影響力の大きな映画祭であるのかが良く解るのだが、結局のところ賞を選ぶのが審査員達であるように、コンペティションの作品を選んでいるのは映画祭ディレクターなのであって、そこに個人的な好みや思惑が含まれているのは当然のことと言える。そして、世界中に映画祭が乱立し、ワールド・プレミアを奪い合うような状況の中では、プログラミング担当者の力量や個人的なコネクションが、そのままセレクションの水準に反映してしまうことがしばしば見受けられる。それはカンヌとて例外ではない。コンペティション部門はともかくとしても、以前から「ある視点」と平行部門である監督週間との間での作品の取り合いはよく知られていたし、そのせいかもう一つの平行部門である批評家週間は、それらの部門で落選した作品の寄せ集めではと思わせるようなレベルの低いセレクションであったこともしばしばであった。しかし、今年はそうした構図が一変していた。
フランス監督協会が主催する監督週間は、一昨年を最後にオリヴィエ・ペールがロカルノ映画祭のディレクターに転出した為、彼の下でスタッフを務めてきたフレデリック・ボワイエが内部昇格の形で昨年よりディレクターに就任。初年度にあたる去年のセレクションは、ペール時代にはしばしば見られた実験的なスタイルを持った意欲作は少なかったものの、骨組みのしっかりとした物語映画を中心に手堅くまとまっていた。ところが今年はボワイエの堅実な路線が裏目に出た感があり、ありきたりな人間ドラマや作り手の独りよがりな感性を押し付けられるような駄作ばかりが目に付いた。そうは言っても、ジャンヌ・ダルクの最期の日々を静謐に格調高く描いた『The Silence of Joan』(Philippe Ramos)や、少年同士のゆすりの物語を長回しと画面外を巧みに活用した独特のスタイルで描き出した『Play』(Ruben Ostlund)のような発見が無かった訳ではない。しかしながら、『ソフィアの夜明け』が一昨年に同部門で上映された(その後東京国際映画祭でグランプリを受賞)カメン・カレフの新作『The Island』は才気は感じられるものの展開に無理がある完全な失敗作であったし、アンドレ・テシネの『Unforgivable』に至っては映画がどこに向かっているのかさえ判らず、失敗作にすら成りえない有様であった。
やはり今回の監督週間におけるセレクション全体のレベルは相当に低く、それを反映してか、例年一般の観客が長蛇の列を作る為に、満員で入れないことが少なくないにも関わらず(映画祭のバッジや招待券無しでは入場不可能な公式部門とは違って、平行部門は一般の観客がチケットを買って観ることができる)、今年は週末の昼間の上映以外は空席が目立っていた。結局、フレデリック・ボワイエは映画祭閉幕から一ヵ月後の六月下旬にディレクターを解任されることになる。
そうした監督週間の低迷と対照的であったのが、今年50周年を迎えた批評家週間の充実ぶりである。フランス映画批評家組合が主催するこの部門は、クリス・マルケル、ベルナルド・ベルトルッチ、ジャン・ユスターシュ、フィリップ・ガレル、ケン・ローチなど、数々の巨匠映画作家の初期作品を紹介してきた輝かしい歴史を持っている。だが、コンペティションでは長編第一作と二作目のみを扱い、しかもメイン会場からは遠い小さなホールでの上映ということもあり、近年は注目を浴びることは少なかったように思う。しかしながら、去年あたりから作品のレベルが上がってきて、今年はカメラ・ドール(映画祭全体の新人監督賞)を受賞した『Las Acacias』(Pablo Giorgelli)をはじめ、17人の女子高生が同時に妊娠するという実在の出来事を瑞々しく映画化した『17 Girls』(Delphine&Muriel Coulin)や、少年と少女の出会いと別れを丁寧に描いたブルガリア映画『Ave』(Konstantin Bojanov)など、小粒ながら今後が楽しみな若手監督達の佳作が並んでいた。また、オープニング作品として上映された『Declaration of War』(ヴァレリー・ドンゼッリが監督・主演)は好評を持って迎えられ、『ターネーション』で注目を浴びたジョナサン・カウエットの新作(『Walk Away Renee』)が特別上映されるなど、ここ数年では最も充実したラインナップだったと言えよう。そうした作品選定に少なからず影響したと言われるのが、「カイエ・デュ・シネマ」誌の元編集長であるシャルル・テッソンが選定委員会に加わったことだ。そのテッソンが来年の映画祭からは選定ディレクターに就任するだけに、批評家週間からは一層目が離せなくなるだろう。
リュミエール大劇場での公式上映が、ハリウッド大作(今回は『パイレーツ・オブ・カリビアン』最新作が上映)や、既に評価が定まった監督達の新作披露の場という側面が強いだけに、新たな映画の可能性を発見する場という、映画祭が本来持つべき役割は二つの平行部門が担っていると言えるだろう。またカンヌ映画祭は、世界最大の映画見本市(マーケット部門)という顔も持っており、そこでは出来上がったばかりの作品が世界中の映画セールス会社によって出品されており、あらゆるジャンルのフィルムが製作規模や質を問わず、玉石混淆の状態で上映されている。その結果、カンヌでは公式部門と平行部門、マーケットを含めると毎日百本から二百本近いの上映スケジュールが組まれている。映画祭には、リュミエール大劇場のレッド・カーペットでメディアや群集の注目を浴びる作品がある一方で、ホテルの会議室を改造した小さな会場で、数人の業界関係者だけの為だけに上映されている作品もあるのだ。カンヌで上映会場を渡り歩く毎日を送っていると、その途方も無い規模の大きさと作品の数に飲み込まれそうになることもしばしばだが、その中から映画の可能性を広げる様な傑作と出会い、しかも世界で最初に陽の目を見る瞬間に立ち会えるというのは、カンヌ映画祭でしか味わえない僥倖なのだろう。 | 2017-03-25T23:39:40 | 0.016389 | <urn:uuid:8693a9ed-56ae-42ae-b41d-52e02d639bd5> |
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